天王寺から近鉄に揺られること30分。富田林(とんだばやし)という、およそ初見では読めない大阪のベッドタウンに江戸時代からの町並みが残っている。
大阪唯一の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されているそのエリアは、巷では「寺内町(じないまち)」と呼ばれている。
所用で大阪に出かけ、帰りが関空からの空路だったのでぶらり途中下車の旅へ。
富田林なんて行くまで聞いたこともなく、っていうか大阪に伝建地区があったの?嘘でしょ?って程度の知識レベルでした。ホント無知すぎてごめんなさい。
そんなわけで、期待するどころか予備知識ゼロで訪れた寺内町。駅前の観光案内所でパンフレットを貰い、いそいそと保存地区へ向かう。駅から南へ徒歩5分ほど。
旧田中家住宅。保存のために手を加えられてるものの、明治25年に建てられた中二階の町家。
このとき、まだ「ふ~ん」って感じだった印象は、のちに大幅に裏切られることになる。
主屋は間口10間、奥行き4間。
中に入るといたって普通の古民家でした。
いざ保存地区へ
大ざっぱに言うと、東西470m、南北400m。6筋(南北)7町(東西)に整備されたエリアが保存地区に指定されている。
町割りのほぼ中央にある興正寺別院。16世紀なかばにこの寺を中心に整備された寺内町、いわゆる宗教自治都市がここの発祥である。元興寺を中心にまちづくりが行われたならまちとよく似ている。
宿屋。うわぁ泊まってみたい!と思った次の瞬間、女性専用の古民家ゲストハウスだという現実を知ることに。。
寺内町が誕生した16世紀半ばというのは戦国動乱の世の中。当時、河内国ではたびたび戦が起こっていたため、寺内町ではまちを守るために様々な工夫を凝らし、今でも随所にその名残が残っている。
外周に土塁を巡らせ、4箇所の出入り口には門を構え夜間は閉める。すでに要塞都市である。
しかしそのおかげで寺内町は戦国の世を生き抜くことができた。
左側が17世紀後期に建てられた旧杉山家住宅。重文にも指定されている、寺内町で最も有名な建物。
屋根の上に見える鋭利そうな柵は「忍び返し」という防犯グッズ。
仲村家住宅。幕末に、あの吉田松陰が滞在したというすごい歴史を持つ建物。
時は下り、江戸時代には幕府の直轄地となり、米や綿の栽培、さらには酒造業が発達し、交通の要衝でもあったことから商業の町として劇的に発展することになる。
保存地区内部へ足を踏み入れると周囲と一線を画するように景色が一変し、整然とした区割り、圧倒的な存在感で立ち並ぶ江戸時代の町家、それらが醸し出す厳粛な空気に現実感が秒速ですっ飛んでいった。
ひょっとしてこれはプレステVRの映像を見せられているんじゃないのか・・
予備知識も先入観もなかったのがよかったのかもしれないけど、終始「すげぇ」とか「うわぁ」とかいかにも無能そうな感嘆詞をうわ言のようにつぶやいてました。いや、ホントそうなるんですよ。行けばわかりますが。
厨子二階には虫籠窓(むしこまど)。言わずもがな、用途は採光と風通し。
屋根の上にある小さい屋根は「煙だし」。かまどの煙を外に出すためにつけられたもの。色々工夫があるんですね。
まちの中央を南北に貫く城之門筋。これがなんと「日本の道百選」に選ばれている。
どこまですごいんだ寺内町。
(2ページ目へ続く)
コメント
画像をみて、「すげ~&うぉ」と叫んでいます。
いいとこですね。定年迎えたら、遊びにいこうかな?
いや~大阪なんて近いもんですよ。いつでも行けますよ~