信長が築いた安土城は、本能寺の変から程なくして焼失した。
その3年後。
安土城からほど近い八幡山に、秀吉の甥である秀次が八幡山城を築いた。ここから城下町としての歴史が始まったのが、現在の近江八幡市である。
秀次は商工業を奨励すべく、楽市楽座等の政策を採った。八幡城はのちに廃城となるが、この政策がのちにこの地から近江商人(八幡商人)を輩出する礎となった。
江戸時代に入り、成功を収めた八幡商人たちが建てた本宅や当時の町並みは今でも色濃く面影を残し、平成3年4月に「商家町」のカテゴリーで伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されている。
そんなわけで、近江商人のまちなみを観光するためにのこのこと近江八幡へやって来た。
保存地区は新町通り、八幡堀周辺、永原町通りで占めるコの字型のエリアから成る。まずは新町通りを歩いてみた。
江戸から明治の町家が整然と残る新町通り
新町通りは、江戸~明治にかけて建てられた商家や蔵、町家が立ち並ぶ。足を踏み入れると、気持ちのいいぐらいに雰囲気が一変する。
夏の暑さに負けず凛と咲く朝顔はえらいなー。と、夏の暑さに負けてヘロっている男が恨めしそうにぼやく。
見越しの松が町並みの風情に一花添えている。その堂々とした姿からは、八幡商人たちの豪商っぷりがびしばし伝わってくる。
保存地区の建物は、切妻造平入りが基本で、屋根は桟瓦葺き。中二階建てが多く、格子や虫籠窓も見られるのが特徴。
これとか顕著ですよね。虫籠窓以外全部該当してるし。
五個荘編で触れたように、近江商人の基本スペックは「質実剛健」、「地元愛」、そして「三方よし」である。
地域や時期に差はあれど、それはどの近江商人にも共通している。
ちなみに八幡商人は、近江商人の中でも最も早い時期に活動し、江戸進出や海外進出も一番早かった言わばパイオニア的な存在である。
新町通り最大のみどころが、1706(宝永3)年に建てられたこの「旧西川家住宅」。
蚊帳や畳の商いで創業から約300年続いたが、跡継ぎ途絶え今は市が所有している。
一般公開されており、大人300円で内部を見学できる。
向かいには1585年、なんと安土桃山時代創業の西川庄六商店。こっちは分家にあたる。
元々はいわゆるセレクトショップで、現在は扇子を中心とした、和テイストの雑貨屋さん。
白壁と土蔵が美しい八幡堀周辺
江戸末期の商家を使った郷土料理店、喜兵衛。八幡堀の目の前にある。
隣には、地場産業である「八幡瓦」を全力でPRしている瓦アートが飾ってあった。というわけでこの場を借りて紹介。
さて、お待ちかねの八幡掘である。城が築かれたときに秀次が整備した堀で、水運として利用するために琵琶湖とつながっている。
今では、白壁の土蔵群と石垣が往時を偲ばせる、近江八幡の白眉とも言える美しい景観を見せている。
石畳の路地は風情満天。
ガイドブックなどでよく見かけるアングル。確かにここが文句なしに一番素晴らしかった。
ちなみに、八幡堀は見ての通りの場所なのでよく時代劇のロケに使われるそうである。至極納得。
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コメント
ここも、また素晴らしいところですね。
日曜日と休日は観光客がおおいのかな?
ゆっくりと、探索したいところですね。
どうでしょう。このときもたまたま平日だったのですよ(笑)
平日でもそこそこいたので、もしかしたら休日は多いかもしれないです。