先日、柏木田と皆ヶ作の記事を続けて書いたので、やはりここはもう流れ的に安浦のことを書かざるを得ないと思うわけなのであるが、とりわけ横須賀三遊郭の中で最も濃ゆい場所が今回綴る安浦であった。
訪れたのは、二ヶ所を訪問したちょうど一週間後。まさか二週連続で横須賀に行くことになるとは。。
安浦の最寄り駅は京急線の「県立大学駅」。かつては「京急安浦駅」であったが、負の歴史を闇に葬りたい住民の悲願が叶って改称されたという。確かに、安浦の地はそれほどまでに重い歴史を背負っている。
これがその県立大学。正式名称は神奈川県立保健福祉大学。
カフェー街跡から見たら駅の反対方向になるが、筆者は電車ではなく単車で訪れたのでここの前を歩く格好になった。
安浦は遊郭跡ではあるが、いわゆる妓楼が立ち並ぶ公娼ではなく、カフェー調の建物が多い私娼街であった。なので、あえて遊郭ではなくここではカフェー街と呼ばせてもらうことにする。
かつてカフェー街のすぐそばには漁港があったが、その後埋め立てられ、再開発の波にのまれてしまった。そこは「平成町」と名づけられ、今ではマンションが立ち並ぶこぎれいな住宅街へと変貌を遂げている。
平成町から少し歩けばそこはもうかつてカフェー街のあった安浦三丁目に入る。
2014年はそれこそ憑かれたかのように全国の赤線、青線を歩き回った。ここ安浦を訪れた頃はまだ本格的に始めて間もなかった頃で、「惚れ惚れするような遺構が残っている」「最近まで現役のちょんの間街であった」というふたつの意味で全国的にも有名だったことで、かなりドキドキしながら歩いたことを覚えている。なんていうかもう、期待と緊張と高揚感が入り混じった我ながらカオスな状態だった。
初音
三丁目に足を踏み入れ、最初に目についたのがこれ。まだ序章に過ぎないのか、どことなく遠慮がちな佇まいに見える。
でも、今でもはっきりと覚えている。明らかにこのあたりで感じたのが「空気が変わった」ということ。
よそ者や外の世界へ対する鬱屈とした気持ちが街全体を支配しているからなのか、負の歴史を飲み込んできた街に堆積する『瘴気』なのかそれはわからないが、柏木田、皆ヶ作とは明らかに空気感が違った。
そして何よりも強く感じたのが、安浦三丁目は今では純然たる住宅街となっており、歴史のことなど忘れてしまったかのように静かに住民の生活が営まれている。
歴史を知ろうとカメラを持って歩くこと自体が「異質」で、招かれざる客であるという雰囲気をひしひしと肌で感じた。たぶんそれは、路地が広くて見通しがよいというハード面での理由も多少作用していると思うが。
冷やかし半分や興味本位でなく、大げさに言えば「調査」のために赤線跡を歩くというその後のポリシーが確立されたのも、この安浦に行ったことがきっかけだったように今では思う。
遊郭や赤線につきものの銭湯。安浦には日の出湯さんという昭和レトロ全開の銭湯がある。
日の出湯さんの隣にある寿司屋『初音』。いわゆる「モザイクタイルを壁面に施したカフェー調の建物」を初めて目にしたのがこれで、真面目な話、感動でしばらく魂が抜けたように呆けてました。ぼへ~。
正面から。
横に回るとこの通り。
赤線跡、とりわけ戦後のカフェー調に多く見られるこのタイル張りは、当時流行った建築スタイルで、おシャレでモダンな象徴としてかなりの人気を博したらしい。
というのがひとつ、もうひとつは「ぱっと見でなんの店かすぐわかる」ように目立たせる意味合いがあったようである。それは、客と警察当局それぞれに対して、のようだ。
よくよく見るといちいち疑問が浮かんでくるが、考えてもわかるわけはないので心を無にしてしばし鑑賞を楽しむ。
大変だ。安浦には使徒が出没するらしい。くっ・・せっかく横須賀まで来たのに・・足がすくむ。
逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。
初音のお隣さん。ドアが三ヶ所あるし、どことなく玄関まわりの意匠に違和感を覚える。
斜めから見たら納得。全体に対して明らかに前部分だけが異なっている。別々の家をガッチャンコしたみたいだ。
現時刻をもって目標を第8使徒と正式に認定する。
歩き回っていたら国道16号線に出てしまった。斜め左前方の道をまっすぐ行くと県立大学駅にぶつかる。
まだくまなく歩いたわけではないので、ここらで前半戦終了としたい。
コメント
1990年だったか91年だったか、当時付き合っていた人が横須賀市日の出町に住んでいまして、20時頃でしたか、ドライブ中に偶然あの通りに迷い込んだら道の両側に頬かむりをしたおばあさん(のように当時見えました)が沢山いました。危ないのでスピードを落とすことになるのですが、すると口々に「遊んでいきませんか」「遊んでいきませんか」と声をかけてこられ、面食らったという思い出があります。
とても貴重な証言を有難うございます。
しかし走行中のクルマに寄ってくるなんて、商魂たくましいと言うか何と言うか…
今じゃそういうところはほとんど浄化されてしまいましたので、生々しい話ですがなんとなく隔世の感が漂いますね。
寂しい限りです。
懐かしく思いました。20代の頃
よくお世話になったものです。
たたみ3畳程の部屋でオレンジ色のライト、布団が敷いてあり横になっているとお姐さんが入ってきて、あとはご想像に。
地元のやんちゃ坊主が性に目覚めると通ったものです。
得も言われぬ情景が目に浮かんできます。
なくなってしまうと寂しいのは、きっとそれを必要としている人たちがいたからなんでしょうね。
在りし頃は、今より少しいい時代だったのだろうと私は信じています。
もうどこもやってないんですかね
残り2軒まで減ったところまでは覚えています
火事で焼けて廃業した店もありましたね