綾ノ町駅から再び阪堺電車に乗り込み、細井川という停留所で降りた。
駅があるのは住吉区。いつの間にか大阪市内に入っていたようだ。
これから向かうのがこの日最後の目的地となる「住吉新地」。
現役五新地の影に隠れて名前すら聞かないが、大正時代には芸妓800名が在籍したという大層な花街だった。
生活圏から外れていることもあり、大阪市の南部にはまったくと言っていいほど縁がない。
そんなに遠くもないのに、ホームに降り立ってみると初めて来た旅先のような新鮮な感覚だった。
旧住吉新地
歩き出すといきなり渋い銭湯に出会った。
さて、住吉と言えば「住吉大社」である。このあたり、創建1800年と言われる古社の門前町として栄えた地域で、古くから茶席や料理屋も多かった。
そんな土地柄もあり、明治45年の大火で起こった「難波新地」の消失によって大正11年に花街の指定地になったのが住吉新地の起源とされる。
その場所は住吉公園の南側。住所で言えば「浜口東」のあたりになる。
古い建物がちらほら目についたが、遊里があったことを示す痕跡のようなものは皆無に近かった。
それもそのはずで、住吉新地は昭和9(1934)年に国道の建設と風紀上の理由により移転させられているので、ここで営業していたのは僅か12年ほど。
移転先に指定されたのは住吉公園の西側、住所で言うと「住之江区御崎1丁目」のあたりになる。
当時、そこには「新名月」という約4万坪の遊園地(菖蒲園)があったという。遊園地と聞くと何か違うものを想起させるが、たぶん東京の『堀切菖蒲園』のようなところだったのだろうと思う。
住吉公園の南側を流れる細井川。
かつてはここが新地の境界線だったのだろうか。
こんなところで、旧住吉新地の散策は終了。
国道26号線を越え、さらに西へ歩く。
途中で不思議な建物を見かけた。
大正~昭和初期頃に建てられたと思えるような意匠の洋風長屋。
「赤線時代の遺構です」と言われたら「ですよね」と言ってしまいそうな外観。
違うと思うけど、唐突にこんな建物に出会ったりするからまち歩きは楽しい。
阪神高速を越えると、いよいよ“新”住吉新地があった界隈にたどり着く。
事前情報ではまだ名残が残っているようであったが、果たしてどうだろう。
(2ページ目へ続く)
コメント