たまには大阪の話でも Vol.3「大阪・住吉新地編」

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住吉大社の門前町として栄えた地域にかつてあった花街、住吉新地。
昭和9(1934)年に一度移転をしているわけだが、今度は移転後のほうを見てみたい。

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新住吉新地

現地に着くや否や目についたのがこちら。
色んな人から遺構と疑われてる建物だけど、きっと遺構でしょう。(適当)

住吉新地は移転後、戦局の悪化によって営業を停止させられた時期を経て戦後は赤線寄りとなって存続していたそうである。

この辺のことは『全国女性街ガイド』(昭和30年)にも記載がある。

今里と同じシステムでお茶屋五十軒に女が百四十名。
花代1時間600円<もちろんお酌もするが寝もする>。

そして昭和33(1958)年の売春防止法完全施行によって花街も完全に消滅。そのまま住宅地へとなっていった。

そんなわけで、純粋な赤線というよりは花街だったこともあり、建物も残っているとしたら料亭のような感じであろう。

そうそう、こんな感じ。
これが今の住吉新地で唯一残る遺構らしい遺構である。

こちらの向かいにもくたびれた木造建築の遺構が立っていたが、筆者が訪れる2~3ヶ月前頃に壊されてしまったようだ。
そんなこともある。

こんな普通の住宅地に花街があったというのも今ではなかなか信じ難い話ではある。
巷では「新地」などと付くと、大抵の男は違うものを期待するだろうが残念ながらここはそういう街ではない。

それでも注意深く歩くと、ところどころ往時の名残が顔を見せる。

建物の意匠をとっても、なかなか想像力を高めさせてくれるような興味深いものがいくつかあった。

とは言え、総括すると「どこにでもありそうな普通の住宅街」だと言うことが行ったことでよくわかった。

こちらの洋食店、住吉新地が現役だった頃から営業している大阪では有名な老舗なんだそう。

まぁ、このときはそんなことつゆ知らず、この壁を見て「遺構か!?」と早とちりしたわけなんですがね。
ここ、いつか機会があれば入ってみたい。

こっちのほうに来る用事がなかなかなさそうだけど・・そのうち。

[訪問日:2017年6月24日]

【旧住吉新地】

【住吉新地】


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