伊勢志摩の新しい旅のカタチをご提案!鳥羽の寂れきった盛り場を見に行こう

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もう1年近く前になるが、昨年7月、二泊三日の日程で三重を訪れた。

近鉄週末フリーパスを買い、大阪から一路三重へ。
まず初めに向かったのが、伊勢志摩の玄関口、鳥羽である。

伊勢神宮には昔一度来たことがあるが、鳥羽を含め志摩地方は人生初。

となれば、ここはもう鳥羽水族館や遊覧船、ミキモト真珠島あたりの定番コースで初めての鳥羽を満喫することに・・

なるようなら今頃こんなブログの管理人はやっていないわけである。

他でもない。鳥羽へは、かつてこの地にあった遊郭跡を見に来たのだ。

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鳥羽遊郭

かつての指定地は、鳥羽駅から(山側)南西へ10分ほど歩いた場所にあった。

歩き出すと、いきなり昭和テイスト全開なお土産センターがお出迎え。

玄関口と言えども、表玄関は観光名所やホテルが集積する海側であり、山側は完全に裏玄関の様相を呈していた。

寂れかけた商店街を抜けると、そこが遊郭跡である。
地図上、地割だけを眺めてもこれと言った特徴がなかったが、現地に立ってみてもさほど印象に変化は見られなかった。

だが、そこで見た観光旅館と書かれた建物が、この街が昭和のある時代から時計の針が進んでいないことを如実に物語っていた。

玄関上には「料理店」。
なるほど。ここが元色街だったことはどうやら間違いないらしいと言うのが、これを見たことで理解できた。

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夢の跡

ここ鳥羽遊郭跡には、江戸末期に建てられた妓楼である『待合津の國』という建物があるという情報だけを唯一の楽しみに訪れたのだが、見ての通りすでに遅かった。

予想外の展開に、更地を眺めながら呆然と立ち尽くしてしまった。

空き地の目の前にあるのが『江戸川乱歩館~鳥羽みなとまち文学館~』。
画家・風俗研究家の岩田準一の生家を利用した施設で、青年期より親交のあった「江戸川乱歩」に関する展示が多数あることからこの名がついたようだ。

まぁ、乱歩の名を借りたほうが色々と都合よ(ry

※江戸川乱歩館は2021年10月に発生した火災で焼失。隣接する古民家を改修し、2023年4月に再開しました。

乱歩館を過ぎると、旧に風景が場末の盛り場じみたムードを帯びてくる。
人がまったくいないことが、寂寥感にさらに拍車をかける。

るるぶと書かれたスナック。
夜限定で色街のガイドでもしてくれそうな名をしている。

それにしても暑い日だった。
ちょうど梅雨明け直後で、いよいよ夏到来と言わんばかりの灼熱が頭上に降り注いでいた。

ちょっとでも油断したら熱中症不可避である。

るるぶの横はまっぷる・・ではなかった。

いや、もうまっぷるにしとこか・・w

バーまっぷる。と勝手に命名。

鳥羽の遊郭は、『全国遊廓案内』に記述が見られる。

貸座敷約二十軒、娼妓は約百人。三重県の女が多い

とある。海の要衝だったことで賑わったようだ。

とは言え、目の前の寂れ方を見ていると、20軒100人規模のシマがあったなんてにわかには信じられない。

ただ、つぶれてる店は多いが、今でもこうして色街のリバーブが効いているところを見ると、昭和33年で区切りをつけ、その後はスナック街としてほそぼそと盛り場の系譜を紡いできたのではないかという気がする。

だが、それもそろそろ過去のものになろうとしていた。

生き残っている建物も、形だけの延命治療を施されているかのような見るに堪えない姿をさらしている。
たとえ医療事故で臨終しても「寿命でした」と言われて片付けられそうな状況がそこにはあった。

残っている建物たちも、もう何年かしたら無に帰る日を迎えることになってしまうだろう。
見学希望者は早めに訪問されることをオススメしたい。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. 大津一城 より:

    その節は大変お世話になりました。
    次は牡蠣を食べに行きませう。

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