海を望む景勝地、伊勢市の二見浦。
古来より伊勢神宮と関連の深い土地で、古くは参拝者が身を清める禊の地だった。
現地の案内板には茶屋の歴史について記述があり、
立石崎(夫婦岩のある岬)への参拝道にあたり、そこへ茶屋を出したのが旅館街のはじまりとか。江戸時代に入り、二見浦は名勝地として、また垢離場として全国的な知名度をあげた。
とある。参拝者が一息つくための茶屋が起源だったようだ。
また、『妻入りの木造建築』にも言及しており、
旅館街には明治の頃の木造の建物が並んでいる。神宮の平入りに対し、同じでは恐れ多いと、妻入りの造りが多い。
建物にも伊勢神宮の影響が出ているあたり、いかにその関連が深いかがよくわかる。
引き続き旅館街
明治時代あたりということは、軒並み築100年は経っていようか。
そんな木造建築が、これほどまとまって残っているのは驚嘆に値する。
鑑札も、すでに字が擦り切れて読めなくなっていた。
おそらく「料理店」と書いてあったのだと思うけど。
海に近い旅館街と言えば鳥取の皆生や和歌山の白浜あたりを想起させるが、いずれも再開発されて近代的なホテルが多い。
絶好のロケーションと、山奥の鄙びた湯治場のような風情を併せ持つ二見浦。もしここが温泉地だったら、大手資本が進出し今頃両者と同じような運命をたどっていたかもしれない。
それと、近鉄王国である三重県において、JR、それも参宮線などという超ローカル路線でないとたどり着けないアクセスの微妙さも、この町並みを残すことに大きく貢献したのではないかと思う。
ちなみに参宮線は、1時間に1~2本というすごく見やすい時刻表をしておりました(笑)
程なくするとY字路にぶつかる。ここを左に進むと夫婦岩で有名な二見興玉神社方面。
塩ようかん。夏場に最適な和菓子ですね。
浜千代館。ここもまた老舗感がすごい。
このあたりで見つけた「料理店」。
廃業したと思われる旅館もあった。やっぱり遊郭にしか見えない。
我ながらそろそろ末期かもしれない。
全然海を見てなかったので、このあたりで海側へ出ることにした。
芭蕉の句碑
江戸時代、松尾芭蕉は江戸深川から岐阜の大垣まで2,400kmもの道のりを踏破した。いわゆる「奥の細道」である。
このドMの極み 旅人の永遠の憧れである芭蕉は、三重の伊賀上野出身。
ここ二見浦にも、元禄2年の作と言われる句碑が立っていた。
うたがふな
潮の花も
浦の春
そして輝く
ウルトラソウル
ハァイ\(^o^)/
違う違う!!
後半余計!!後半いらない!!!!!
…すんませんふざけすぎました。
賓日館
さて、二見浦には、賓日館(ひんじつかん)という元旅館の資料館が立っている。
1887年(明治20年)竣工、皇族や要人の宿泊施設として当時としては贅を尽くして建てられた和風建築である。
中を見たかったけど、今後の行程の都合で泣く泣く断念。
ここはリサーチしてなかったのでしょうがない。
ようやく二見興玉神社に到着。ゆっくり歩けば、駅からなんだかんだ20分ぐらいかかる距離。
そしてこれがパワースポットとして有名な夫婦岩。
沖合700mに沈む霊石と太陽を拝む鳥居の役目を果たしているんだとか。そう言えば確かにこっちは東向きだ。夏頃には夫婦岩の間から日が昇るので、多くのカメラマンで賑わう。
中学から大学までの多感な時期を海のすぐそばで過ごした筆者にとって、二見浦のオーシャンビューは心象風景の一部と重なり、印象深い地となった。
何より、圧巻の旅館街である。
いつか、もうちょっと立派な大人になれたら再訪したいと思う。今度は泊まりで。
[訪問日:2017年7月15日]
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