伊勢・古市参宮街道を歩く ~三大遊廓の跡地を訪ねて~

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“日本最大のパワースポット”などというチープなウリ文句のおかげで、いつ行っても某TDRのような混雑に巻き込まれる伊勢神宮。
江戸時代、民衆の間で大流行した「お伊勢参り」がその起源となるが、そうなると参拝客の精進落としが必要になり、そういう経緯で誕生したのが古市遊廓である。

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伊勢古市参宮街道資料館

麻吉旅館に泊まった翌日、古市界隈を散策した。
それに先立ち、足を運んだのが「伊勢古市参宮街道資料館」である。

伊勢歌舞伎や古市遊郭にまつわる資料が展示してある資料館。
開館は朝9時から。入館は無料。

古市遊郭は、伊勢神宮の内宮と外宮をつなぐ参宮街道沿いにつくられた歓楽街で、最盛期の江戸中期には妓楼70軒、遊女1000人というとんでもない規模にまで発展した。

現「麻吉旅館」

その繁栄ぶりから、当時は幕府非公認でありながら江戸の吉原、京の島原とともに「三大遊廓」のひとつに数えられていたほど。
(公許である吉原、島原、大阪新町を三大とする説のほうが一般的。これに古市、長崎丸山を加えて五大遊廓と呼ぶ)

備前屋

そんなところだったので大層な妓楼もいくつかあり、その中でも歴史に名を残すぐらい有名なものが「備前屋」「杉本屋」「油屋」の三軒。

こちらが油屋。
古市史上最悪の事件となった油屋騒動はあまりにも有名。

伊勢音頭

江戸時代の遊郭と言えば、いわゆる「顔見世の間」があって格子越しに遊女を選ぶスタイルが割と多かったのではないかと思うけど、ここ古市は少し変わっていて舞台上で遊女たちが伊勢音頭を踊り、それを見た客が相方を選ぶというシステム。

ご丁寧に舞台装置と仕掛けの解説までしてあった。
でもこれはちょっといいなぁ。自分が江戸時代に生きてたら絶対こっちだなー。ただ座ってるだけの遊女を選ぶよりもエンタメ感があって楽しそう。

↑昭和47年の麻吉旅館。
今とほとんど変わらない。

昭和初期~昭和10年の芸者の写真。

このミミズがのたくったような字はなんぞ?と思ったら、江戸末期の遊女の手紙だった。
文化人であった客と対峙するために、古市の遊女たちは高い教養や技能を身に付けていたそうな。

特に、馴染み客に手紙を書くのは、客をリピートさせる手練手管のひとつだった。

へー。
このテクニックは現代まで生きてますね。

訳もあった。

憚りながらお礼を申し上げます。

本日はいっそうご機嫌よろしいことと存じます。
こちらにお越しいただいてから、あれこれとお話したいと思います。
なので、お越しいただけて本当にありがたく思いますが、厚かましい事とは承知の上で、
すこしでも早くお越しいただきますよう、お待ちしております。

まずはご挨拶まで。あらあら めでたく かしこ。

なるほど、形式張った内容だけど、書いてあることの本質は今の風俗とそう変わらない。

…ような気がする。

遊女が使用していたキセル。

まー、なかなか貴重な品々がたくさんありますので、是非現地に足を運んでみてください。

(2ページ目へ続く)

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