松阪市の『愛宕町』…そこはお伊勢参りの玄関口として賑わったと云ふ

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灼けたアスファルトから立ち上る熱気が、陽炎のようにゆらゆらと揺らめいていた。
生命力を脅かすほどの狂気じみた陽射しがジリジリと照りつける正午過ぎ、その駅に降り立った。

三重県松阪市。言わずと知れた、国内屈指のブランド和牛の産地である。
この地には、お伊勢参りに端を発するふたつの遊郭があったと言う。それらの今の様子をこの目で見てみたかったのだ。

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愛宕町遊郭

松阪駅から南へ10分ほど歩いたところ、国道42号線の南側一帯に愛宕町はあった。
現地には、明らかに夜の街と思える色のついた世界が広がっていた。

『遊郭をみる』によれば、松阪は江戸時代からお伊勢参りの玄関口として宿場女郎が盛んな土地だったそうだ。

「東郭」、「西郭」とふたつの遊郭があり、東が今の愛宕町、西が川井町あたり。

昭和5年の『全国遊廓案内』には14軒75人との記述がある。

庶民たちの間に空前のブームを巻き起こしたお伊勢参り。
一生に一度の楽しみと言われ、表向きは参拝でも実際は観光だったその道行において、道中の食事や宿泊、そして旅籠で飯盛女と乳繰り合うことはさぞかし享楽的な時間だったに違いない。

そんなはるか遠い時代から連綿と続く色街。
目の前にある風景は、煎じ詰めればそういうことになるだろう。

よく考えてみたら、結構すごいことのように思えてならない。

しかしながら、遊郭から赤線、そして今も盛り場というエリートの系譜を歩んできた愛宕町も、今では一地方都市の地味な盛り場の様相を呈するにとどまっていた。

と言うのも、松阪は戦後に大火に見舞われた歴史があるとかで、そのときにこのあたりも焼けてしまったそうだ。

おそらく今のゲームセンターのようなところだったのであろうこの建物も、すぐに夜の営みである「遊戯」のほうを想起してしまう。
我ながらそろそろ末期だと思う。

車や電車で労せずにお伊勢参りができてしまう現代。この街の意義など、とうの昔に失われてしまったのかもしれない。

緩やかに衰退してきた色街とは対照的に、相変わらず夏の陽射しだけが勢いよく降り注ぎ、全身から噴き出した汗をてらてらと艶かしく光らせていた。

ところどころ、古い木造住宅が残っていた。
無味乾燥な街並みの中に、まるで救いの光のような安らぎを与えてくれる。

小津安二郎青春館

『東京物語』の小津安二郎監督は、青春時代をここ松阪で過ごしたと言う。
その記念館が愛宕町に建っていた。

すべての路地をくまなく歩いてみたが、別段琴線に触れるような街ではなかった。
大火の折に、昔日の風情はすでに過去のものとなってしまったのだろう。

どうにも、味のある木造バラックや朽ちかけた横丁みたいな“オプション”がないと、色街散策は楽しめないようになってしまった。

でも、鑑札を見つけるとテンションが上がる単純な自分。

しかし三重県って結構残ってるよね。

妖しい色彩の横丁建築を眺めながら、この辺で愛宕町遊郭跡の散策を締めることにしよう。
暑くて流石にくたびれた。

おまけ

松阪には、今もピンク映画館がある。
駅からほど近いところにある『松阪大映劇場』がそれだ。

しかも、それが市内唯一の映画館というのだから何とも異色な街だと思う。

通りから映画館へと至る細い路地にはかつて飲み屋だった長屋が建っており、「料理店」の鑑札を見ることができる。

映画が娯楽の王道だった頃は、きっと多くの人々で賑わったであろう路地。
今ここに、盛者必衰を思わずにはいられない。

戦前、1940年頃開業し、大映の封切館から1970年に成人映画に鞍替えしたそうだ。
東宝の封切館からピンク路線に進んだ千本日活と似ている。

昔の映画館によく見られる、豆タイルの円柱が可愛い。

駅からも近く、広い通りに面した松阪大映。
もしここが閉鎖してしまったら、再開発は必至だろうと思う。

いつまでも頑張ってほしいと願う次第である。

[訪問日:2017年7月16日]


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