石見銀山から西へ約20km。電車だと大田市から30分。
温泉津というところへやってきた。
まず読めなかった。
おんせんつ・・
と書いて「ゆのつ」と読む。
そして、字面からわかるようにこのまちは温泉街である。
温泉津温泉
上から読んでも温泉津温泉・・下から読んでも温泉津温泉・・
ニヤニヤしながら駅のホームに降り立った。
(職質はされませんでした大丈夫です)
温泉津は世界遺産です
駅前の鄙びた商店街を抜け、温泉街へと向かう。
温泉津を雑に説明するなら、「日本海に面した鄙びた温泉街」、その一言に尽きる。
が、実は石見銀山が世界遺産に登録されたとき、温泉街の町並みが構成資産のひとつとして選ばれている。つまり温泉津は世界遺産なのである。
どういうことかと言うと、石見銀山でザクザクと掘られた銀はここ温泉津から三々五々、世界各地へと運ばれていった。
銀の積み出し港として栄えたのがこのまちだったわけだ。
観光案内所でもある「ゆうゆう館」でキャリーバッグを預かってもらい、おばちゃんからマップとともに色々と情報を仕入れた。
さて、それじゃ行きますか。
重伝建な温泉津の町並み
世界遺産登録は2007年だが、その3年前、2004年に温泉津は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選ばれている。
カテゴリーは「港町・温泉町」。
温泉町としては唯一の選定で、これは2024年現在でも変わっていない。
ここでまとめると、現時点で温泉津の基本スペックは
世界遺産、重伝建、温泉街
ということになる。とんでもない肩書きじゃないか・・
「龍御前神社」からは温泉津港と街並みが一望できる。ここは必ず立ち寄るべし
※2023年秋に再訪したところ、木々の生長で何も見えなくなっていました。。
港町としての歴史は折り紙つきの温泉津。銀が衰退したあとは北前船の寄港地として賑わい、廻船問屋も多かったという。
また、温泉街としての歴史はさらに古い。
1300年前、満身創痍のタヌキが傷を癒やしているところを僧侶が発見したといういわくありがちな伝承を持っている。
そんな、世界遺産で重伝建な温泉街と言う、筆者の刺さるポイントを完璧に押さえた温泉津温泉は紛れもなくこの旅で一番楽しみな目的地だった。
だが、のちに別の意味でその期待が裏切られることになるのを、このときはまだ知らなかった。
温泉街へ
温泉津の温泉街は、港から東へ、山あいの街道(銀山街道という)に沿って1kmにも満たない規模としては小さなものである。
旅館があるのは奥のほうで、手前には古い木造家屋やたまに江戸末期頃建てられたような町家なんかも見かける。
おや?ここの前ではた、と足が止まった。
ほほぉ、これはこれは・・
「それ」があるということは、この温泉街にも少なからず歓楽色があったことの裏付けになるのだろうか。
ピンクはおろか鄙びきっててそろそろモノクロになりそうな温泉街を前にして思った。
どうにも活気が感じられないと思ったら、こちらの旅館・・無情にも廃業していた。
しかしながら、ここには「風俗営業」と書かれた黄色い許可証。
うーん・・やはり“遊べる温泉街”だった?
なお、現代の“風俗店”とは意味合いが異なりますので悪しからず。
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