山口県萩市は、我が国を代表する「歴史のまち」と言ってよいだろう。
吉田松陰生誕の地であり、松下村塾からは高杉晋作や伊藤博文などを輩出した。
明治維新の震源地として、近代日本の扉をこじ開けた歴史を持つ萩。
そして、城下町だった頃の名残は江戸時代の地図がそのまま使えると言われるほど町割りが良好に残っている。
また、2015年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」には、松下村塾や城下町など5つの構成資産が萩に点在。今や色んな意味ですごいまちとなっている。
萩市の重伝建
そんな萩には、城下町を含む4つの重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)を歩くためにやって来た。
そう、萩市内にはなんと重伝建が4ヶ所もあるのだ。これは、京都、金沢と並び国内で最も多い。
もうそろそろ「町並み界の重鎮」と呼んで差し支えないレベルだと思う。
浜崎地区
まず最初に歩いたのが2001年に登録された浜崎地区。三角州地帯の北東端、松本川の河口に位置する港町である。
江戸時代には北前船、西廻り航路の寄港地となり、廻船業や水産業で栄えたまちだ。
古民家再生モデル住宅として一般公開されている「梅屋七兵衛旧宅」
藩主の乗船や新造船の進水時に唄われた「お船謡」が伝承されている住吉神社
萩の城下町と言えば土塀と武家屋敷、そして夏蜜柑と言う、いわゆる武家町としてのイメージが強いのではないかと思う。筆者もそうだった。
その点、この浜崎地区はだいぶ毛色が違っている。
町家や土蔵が連なるいわゆる商業町で、武家町の風情などは微塵も感じられない。
地区内の建物は切妻造り平入りが一般的で、江戸末期から昭和初期にかけて建てられた伝統的建造物が130棟以上残っている。
この浜崎地区もまた、藩政時代の町割りをよくとどめている。
東西320m、南北530mにまたがる保存地区は、南北を貫くメインストリート(本町筋)を核として広がっている。
厨子二階に虫籠窓。おそらく江戸時代に建てられたものであろう。
本町筋。
この浜崎地区では、お盆休みというのに観光客をほとんど見かけなかった。(朝早かったせいかもしれないけど)
逆に松下村塾や堀内地区(武家町)は人だらけだったので、やはり世界遺産効果は絶大なのだろう。
なので古い町並みをゆっくり散策したい方にはものすごくオススメできる場所だと思う。
池部家住宅
明治期に建てられた町家で、元々白漆喰だった外壁を板貼りに改変したそうな。
斉藤家(安政3(1856)年)
この路地の風情めちゃめちゃかっこいいと思いません?
本町筋はこの場所で突き当たりとなり、東へと折れる。
※右側に見えてる建物は取り壊されました
藤井家主屋
東と西に二棟あり、東は1850年代の建築。
かつて海産物問屋だった家で、一階の軒先でも商品を売っていたそうな。
※2022年にフルリノベーションされ、カフェやギャラリーの複合施設「舸子176」に生まれ変わりました
突き当たりを曲がった先が川になっており、現在はそこが魚市場になっている。
かつては北前船が各地の特産物、海産物を扱っていた港町、浜崎。
時代は変われど、そこには地物の魚を扱う市場。担う役割はあまり変わらない。
かつては四棟存在したという御船倉。取り壊されてしまい、現存するのはここだけである。
蛇足ではあるが、この浜崎地区のすぐ東側には「浮島遊郭」という遊里が存在した。
そこには、大正時代に建てられた遊郭時代の建物をそのまま転用した旅館、『芳和荘』がある。
建物の意匠がとにかく素晴らしいので、興味のある方には是非とも宿泊されることをオススメしたい。
[訪問日:2017年8月15日]
コメント
すごい数が残ってますね。
萩には20年くらい前に行ったことがあります。松下村塾など有名どころは回りましたが、街並みまでみて歩く時間はありませんでした。
それでも、江戸、明治からと思われる建物の多さに驚いた覚えがあります。
東北だとここまで残っているところはないですね。自然環境にも拠りますが、戊辰戦争の影響も少なからずあるかもしれません。例えば、徳川譜代の水野家が納めていた庄内は無くなった祭りも多いそうです。
萩はこのとき初めて行ったのですが、かなり驚きました。
三角州につくられた小さな街ですが、一級品の歴史遺産がごろごろ転がってますね。重伝建が4ヶ所というのもダテじゃなかったです。
東北は・・そうなんですか。行ったことないですが、武家町の角館とかは萩に近いのかな、って思ったりしてます。