ガチな鍵曲が残る、萩の『平安古地区』を歩く

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

萩の城下町は、以前書いたとおり三の丸にあたる堀内地区に形成された。
ところが、段々土地がなくなってきたので南側に広がる平安古(ひやこちく)地区を開墾し、そちらにも徐々に武士が住むようになっていった。

かんきつ公園

その平安古地区の一角、橋本川に面した地区が、当時の町割りや武家屋敷が良好に残されているという理由で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)になっている。

萩での夏蜜柑栽培発祥の地がここ

細い路地を抜け、かんきつ公園に車を停めて散策を開始した。
夏蜜柑うまそう・・

かつて毛利筑前の下屋敷だった広大な土地が背丈ほどの土塀で囲まれている。
かんきつ公園があるのもこの敷地内。

なんか動いてんなぁと思ったら、足元に小さなサワガニ(でいいのかな)がいた。

スポンサーリンク
広告336×280

平安古の鍵曲

武家町の名残を色濃くとどめているのがこの鍵曲(かいまがり)。
鍵型に道を折り曲げ、見通しを悪くすることで敵の襲来に備えやすくするという手法。

枡形(ますがた)と呼ぶほうがポピュラーな気がするが、城下町には比較的よく見られるやつ。

黄土色の土塀が醸し出す風情がリアル江戸時代な件。
これ、勢いよく飛び出したら確実に総攻撃くらうやつ。

襲来は用法用量を守って計画的に行いましょう。

むき出しになった瓦が重ねた歳月を感じさせる。

この鍵曲、車1.5台分ぐらいの幅しかないので離合するのは不可能。
対面から車が来たら100%詰むのでご注意あれ。

一応カーブミラーはあるんだけどね。
映ったところですでに手遅れだから・・

鍵曲を抜けた先には、天保の改革に尽力したという坪井九右衛門の旧宅がある。

長屋門、主屋、土蔵などが残っているが、現在も住居として使用されているので見学は不可。

その斜向かいにあるのが「平安古かいまがり交流館」

ここも元々は児玉家という武家屋敷があったところ。

中は資料室みたいな感じになっていて、庭園も公開されている。

そこに江戸時代の地図があったんだけど、鍵曲の部分が手抜きかと思うぐらい今とまったく変わってない。。

平安古の保存地区はそもそも範囲が狭いので、見どころとしてはこんなところ。
堀内地区と違ってサクッと見れるので、比較的足を運びやすいのではないかと。

毛利筑前の下屋敷は、のちに第26代内閣総理大臣となった田中義一の別邸となる。
当時の主屋が残っていて、(有料だけど)中を見学できるので興味があればどうぞ。

最後に、車で鍵曲を通ると運転席からはこんな風に見えます。

出会い頭が危険な意味がおわかりいただけましたでしょうか…笑

おしまい。

[訪問日:2017年8月15日]


スポンサーリンク
広告336×280
広告336×280

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする