萩往還の宿場町「佐々並市」の素敵に渋い町並みを観察する

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山口県の萩市と防府市をつなぐ「萩往還」は、江戸時代に整備された街道のひとつである。
日本海と瀬戸内海をつなぐ主要街道としての役目を担ったその道のほぼ中間地点に位置し、藩主の参勤交代の際にも使われた宿駅が「佐々並(ささなみ)」という地区だ。

萩市街地から車で20km。
国道262号線をひたすら山に向かって走らせた、思わず「マジかよ…」と唸りたくなるような山の中にその佐々並はあった。

そこは2011年6月に「宿場町」として重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定された場所だった。

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歴史的な話

石田理髪店(江戸後期)

今は萩市だがかつては「旭村」という村だった佐々並は、「佐々並市(ささなみいち)」の名で呼ばれることのほうが得意だろう。
元々は街道沿いの市場町だったことがその由縁となっている。

やがて藩主の参勤交代路となると宿場町へとその性格を変え、本陣と脇本陣も置かれ大いに賑わうことになった。

塗籠造りの商家

重伝建になったのは、宿場町時代の町割りにほぼ変化がないことと、当時の建築物が数多く残っているのが理由だと言う。

まぁ、そりゃそうだろうな、と言うのが現地を訪れた率直な感想だった。

目の前の光景は“危うく限界集落かと見間違えるほど寂れた山間部の小さな集落”でしかなく、そんなにすごい宿駅がここにあったなんて「冗談に決まってるじゃん」と言われたほうがまだ信用できそうな話だと思った。

なんせ、人がいない。建物もボロボロ(のが多い)。

大丈夫なんだろうか…。
見れば見るほど心配になってくるほどに末期的な様相を呈している。

ここ、確か重伝建だったよな。
国から補助金が出てるはずだよな。

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

萩には重伝建が4ヶ所あるというのは前回までの記事で書いてきたとおりだが、佐々並市だけが完全に浮いているという印象を受けた。

他の3つが城下町なのでジャンルが違うから、というのもあるけど、とは言えねぇ・・

建物なんかの話

建物は塗籠造りの商家や旅籠建築が比較的多く残っている。

年代的には江戸から明治、大正、昭和初期・中期と幅広いラインナップを揃えている。

また、現存はしないが本陣の「御茶屋」だった場所には案内板が立っている。

あとそうそう、屋根は中国地方でよく見られる赤い「石州瓦」のものが多い。
石州瓦については倉吉大森のところで少し触れましたね。

創業約260年の「はやし屋旅館」。
名物のささなみ豆腐を使ったコース料理が人気。

1800年頃から8代続く超老舗の「土山豆腐店」。

郷土料理の「ささなみ豆腐」はかの伊藤博文が大層気に入って、首相時代に「東京に出てきてよ~」と再三頼んだが当時の四代目が「土地の名物がなくなると困る」と言って断ったという有名が逸話があるそう。

元旅館っぽいなーと思ったこちらの建物の入り口で、手書きで「料理店」と書かれた鑑札を認めた。元はなんだったのだろうか。

旧小林家住宅

江戸時代、目代所だった旧小林家住宅。
今は「佐々並ご案内処」と謳う観光案内所になっている。

ここで観光マップをもらえるので、立ち寄ると少しだけ幸せになれるかも。

厨子二階の塗籠造と赤い瓦の組み合わせって、たぶんこの辺りでしかお目にかかれない貴重なもの・・だなって改めて見たらそう思った。

集落の北側は、細い旧街道に沿って古い家屋が点在するだけの非連続な風景が続いていた。

保存地区を二分するように、佐々並川が流れている。
佐々並は、すべてが山と川で説明がつくようなのどかで小さい集落だった。

しかしながら、藩主が立ち寄る宿場として栄え、幕末には吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、坂本龍馬などの維新の志士たちが萩往還を通り、ここ佐々並で休泊したと言う。

すごい歴史を秘めた土地であることもまた、偽りなき真実であろう。

近くにある道の駅では、名物の豆腐料理を供している。

せっかくだからと、ここで遅い昼飯を摂ってから帰路についた。
好きなので自分でもたまに作るけど、ここの豆腐ステーキにはどうあがいても勝てそうになかった。

[訪問日:2017年8月15日]


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