圧倒的重厚感!高岡『山町筋』に残る土蔵造りの町並み

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加賀百万石の礎を築き、一躍スターダムにのし上がった敏腕の戦国武将、前田利家。

そのJr、前田利長が隠居先として高岡城を築いたところから歴史が始まった富山県の高岡市には、前回紹介した金屋町の他にもうひとつ、山町筋という古い町並みが残っている。

高岡駅から徒歩10分ほどのところにある通称、『土蔵造りの町並み』と呼ばれる商家町がそれだ。

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成り立ちなど

土蔵造りのまち資料館

利長の没後、追い打ちをかけるように一国一城令で廃城となることが決まった高岡城。
しかしそこは百万石の系譜である。異母弟である利常の登場によって歴史が大きく動いて行く。

利常は町人の転出を禁じ、自治組織を発足させるなど、城下町から商工業のまちへと再生させる政策をとった。

高岡が彦根から新潟へといたる北陸街道(現国道8号線)沿いにあったこともプラスに作用し、米や綿などの集散地として発展。

寂れかけていた城下町は見事に息を吹き返し、その結果誕生した商人町 が今の山町筋なのだ。

東西約600mという範囲に、いちいち目を引く重厚な土蔵造りの商家が点在している。指定された伝統的建造物の数は96棟あるという。

高岡では明治33(1900)年に市街地の6割が消失するという大火があり、実は今の山町筋の街並みは大火後に再興されたもの。

菅野家住宅(一般公開)

防火を徹底的に意識し、豪商たちが惜しみなく金をつぎ込んで建てられた土蔵造りの商家群が、結果的に優れた意匠と景観を有することになり後世の評価へとつながった。

「災い転じて福となす」とはこう言うことだろうか。

ちなみに山町筋は2000年12月に「商家町」として重伝建に選定されている。
残る建物がすべて明治後期以降というのは重伝建の中では珍しいと思う。

高岡御車山祭り

毎年5月1日には、 御車山(みくるまやま)と呼ばれる山車が市内を練り歩く高岡最大の祭り「高岡御車山祭」が山町筋界隈で催される。

この御車山は元は秀吉から前田利家に与えられたもので、それを利長が山町の町人に与えた。

山町の地名は、この、御車山を保有、管理していたことが由来と聞いてなるほど、と思った。

1914年(大正3年)に建てられた富山銀行本店。
あの辰野金吾(東京駅を設計した人ですね)が監修したらしい。

かなり目を引く。というか「土蔵造りの町並み」なのに確実に一番目立ってた。赤レンガのくせに。

御車山を展示している『高岡御車山会館』。2015年開館とまだ新しい。

そんなわけでそろそろ山町筋の散策も終盤、というところで面白い意匠の建物に出会った。

明治38年に建てられた「井波屋仏檀店」。
どことなくギリシャっぽさを醸し出す擬洋風建築。

そしてやっぱり目立ってた。土蔵造り、もっと頑張れよ。

なぜか建物ばかり撮ってたようで、街並みの写真がまったくなかったのであまり雰囲気が伝わってない気もするけど、こんなところで今日の話は終わります。

富山に行ったことないから行ってみたい、って方には高岡はまぁまぁオススメできる場所なんではないかと。アクセスもよろしいので。

[訪問日:2017年11月3日]


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