熱海の通称「糸川べり」を散策してきた。昨年GWのことである。
「糸川べり」とは熱海市中央町にかつてあった赤線のことで、現在では早咲きで知られるあたみ桜で有名なところだ。毎年2月頃には糸川桜まつりが開催される。
熱海駅からは徒歩で15分くらいかかる。
海沿いを走る国道135号線から糸川の遊歩道に入るとまずはこの建物がお出迎え。
※2021年に閉店したそうです
早朝の糸川べり
1934年(昭和9年)、熱海~函南間に丹那トンネルが開通し、それまで現在の御殿場線だった東海道線が今のルートになった。熱海の街はそこから一気に発展し、私娼街も拡大する。
しかし昭和25年の熱海大火で丸焼けになり、復興の過程でネオンきらめく色街に変わっていったようだ。
ちょうど同じ年に朝鮮戦争が勃発したことで、熱海は御殿場や神奈川近郊の米兵たちの「休日の遊び場」に指定された。これでパンパンが増加し、一気に赤線化が加速した。
熱海には戦後RAA施設が置かれたので、その流れもあったのかもしれない。
赤線や色街の関連書籍になぜかあまり載ってない熱海だけど、カフェー建築の現存っぷりはたぶん関東近郊でも一二を争うのではないかと思う。それぐらい保存状態がよい。
この塗り直してる居酒屋も関連物件でしょう。その名も「いと川」。
このときは旅の帰りに寄ったのだが、行程の都合上早朝の訪問となった。何時だったっけな、とExif情報確認したところAM6時だったのにはさすがに失笑した。
こんな早い時間に赤線跡歩いたのは、後にも先にもこのときだけじゃなかろうかと。
しかしまぁ、朝から何やってんだよ、と我ながらツッコみたくなってくる。
タイル貼りが美しい居酒屋さん。
このピンクと黄緑の配色ってけっこう見かけますよね。当時のトレンドだったのでしょうか。
戦後、糸川には70件余りの特飲店があったが、売防法施行後はバーや酒場に転業するも以前と変わらずお客を取っていたそうなので、おそらく現在目にするボロボロのスナック、居酒屋風店舗は十中八九その類のお店でしょう。
中には売家となっているものもあった。
植物園ですかここは。
旧赤線は、細い路地に傷んだ建物が密集する場末感全開の一角にある。たぶん探しまわるまでもなく行けばすぐおわかりになると思う。
足元を見ながら歩くとタイル貼りもところどころ目につく。
挟まれた新聞がいい味出してます。これ絵になるなぁ。
次回は糸川で最も有名なカフェー建築を紹介します。
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