西側の「上町」は江戸時代に街道だった通りである。こちらのほうが道幅が広い。
中町が江戸時代の町家が多かったのに対して、上町のほうは明治期以降に建てられたものが中心となっている。
この通りを代表する建物が、こちらの旧美々津郵便局。昭和初期に建てられた洋風建築である。
この通り、ちょっと面白くて駐車していい場所が隔月で変わるらしい。こんなの初めて見たよ。
上方との交流を示す名残として、この通りには京都に見られる格子の町家や、虫籠窓と言った近畿地方でよく見られる特徴を持った建物が多い。
長らく物資の集散地として栄えた美々津だったが、明治期以降、全国的に海運が衰退して行くさなか、大正12年に国鉄日豊本線が開通したのを契機に廻船業もその役目を終えた。
美々津県?
驚いたのが、明治時代、廃藩置県後に一時期県庁が置かれた時期があって今の宮崎北部は「美々津県」と言ったそうだ。
だがそれも長くは続かず、一年あまりで宮崎県となった。
それほどまでにこの港町が経済の拠点として栄えていたことの証左だったのだろう。
鉄道開通の際、今の美々津駅が離れた場所にできたことによって逆に近代化から取り残され、結果として古い町並みがそのまま残ることになった。
今では何の変哲もない静かな港町にも、歴史を学ぶと実に興味深い出来事がたくさんあったりする。これこそがまち歩きの醍醐味だと、美々津を歩いたことで改めて思い知ることができた。
そうそう、駐車禁止のくだりはちゃんとした標識になっていた。これ初めて来た人絶対気づかずに停めるよね・・
高札場の前に残る厨子二階の2分の1がすべて虫籠窓という珍しい建物は『美々津まちなみセンター』。いわゆる交流拠点ですね。休憩処、兼観光案内所的な。
その横にある『美々津軒』は、明治初期の商家「旧矢野家」を改装した一般公開用の伝統的建造物。
名前だけ見たら「え?ラーメン屋?」ってなること請け合い(笑)
コンパクトな町並みに見どころが凝縮された美々津のまちは、今なお往時の町割と雰囲気をよくとどめており非常に歩き甲斐のあるところだった。
実はここ、ある神話の舞台にもなっていて、その伝説にちなんで「日本海軍発祥之地」なる記念碑が結構自己主張強めな感じで立っている。
上方との交流で繁栄した美々津。自分がたまたま関西に住んでいることもあり、しみじみと考えさせられるものがあった。
[訪問日:2017年12月31日]
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