【九州のベニス】水都・延岡の色街跡を訪ねる

宮崎県
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宮崎県北部の延岡市。
宮崎で二番目に栄えてるとか栄えてないとか言われるまちで、幾筋もの川が集まる河口に開けた、つまるところ「水都」である。

この延岡に、遊里の名残を訪ねた。

延岡の遊里は、まず全国遊廓案内に『延岡町岡富遊廓』として記載がある。

延岡町岡富新地にあって、延岡駅から東南へ約八丁。貸座敷は5軒、娼妓は25人

まとめると、こんなことが書かれている。

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遊郭と思われてるけど実は花街

『全国女性街ガイド』にも書いてあるけど、延岡は遊郭よりも花街、つまり芸者のほうが勢いがあったそうだ。

松川二郎の『全国花街めぐり』にもしっかりとページを割いて延岡のことが紹介されている。

『九州のベニス』の見出しから始まる、延岡花街の紹介。五ケ瀬川左岸の「紺屋町」「博労町」あたりだったとある。

というわけで、途中の道程すっ飛ばして紺屋町界隈へやって来ました。車だったんでご容赦ください。

ちなみに、延岡駅から歩いたらだいたい15分ぐらいかと。

ネット界隈ではこの場所が遊郭跡だと思われているフシがあって、そうなると絶対赤線時代の遺構だと断定されそうな有名な建物は無事ご存命だった。

まぁでも、この素晴らしい円柱豆タイルを見てると歴史なんてどうでもえーやんという気になってくる。ここが戦後どういう風になったのか知らないけど、赤線自体は実際岡富遊郭のあった場所に「新地」と名を変えて存在していたようだ。

延岡花街は

専門の置屋が二軒、置屋兼料理屋が九軒、芸者五十余名。それに専門の料理屋が二十三軒

という規模だったとある。地方都市にしてはずいぶんお盛んな土地柄だったことが見て取れる。

五ケ瀬川に面した、かつては風情たっぷりに料理屋が立ち並んでいたであろう場所には、別の意味で風情たっぷりなものが立っていた。

ムードを大事にしたいのはいつの時代も男と女の常なのだろう。

暮れなずむ川面に、弦歌さんざめく時代への追憶を重ねる。

ここの花街では、船遊びが名物だったそうだ。今で言う隅田川の夜みたいな感じだったのだろう。実に風流である。

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もうちょっとぶらぶらと…

付近はさっきのホテルを筆頭にスナックや飲み屋の類が多く、明らかに花街ではなく遊郭、赤線跡寄りの雰囲気を醸している。

遊郭のことは『全国花街めぐり』にも書いてあって

麦原遊廓
通称は単に「新地」。紺屋町に近く郊外岡富村麦原新地に在り、延岡の花街を通り抜けてゆく。
純然たる娼妓専門の遊廓で、貸座敷六軒、娼妓十六名。

紺屋町から真っ直ぐ東へ行って線路を越えた先にある「来迎寺」付近がその場所になるが、名残と呼べそうなものはもう何も残っていなかった。

もはや見どころなどないに等しい延岡の遊里で、下調べでもう一軒気になる建物があったのでそちらへ向かってみる。

正確な場所まで調べてなかったので実はかなり右往左往したんだけどw

目的のものは、国道を渡った反対側にあった。激渋レトロ食堂の看板を横目に路地へと入って行く。

まだあった。さっきの三階建てと同じく円柱豆タイルをあしらった不思議な物件。

“そういう商い”をしていたようには見えないけど、このピンクと黄緑のマリアージュ・・コケティッシュすぎでしょ。

その向かいにもこれまた渋い洋食屋。でももうやってなさそうな感じ。

こういう位置関係。このアングル、なかなかフォトジェニック。

そう言えば、国道沿いに純和風な旅館が残ってて「おおぉ」ってなったんだけど、廃業して後片付けしてる最中だったようで。(博労町あたり)

今ストリートビューで確認したらきれいさっぱりつんつるてんになってました(笑)

というわけで、見どころとしてはそんなでもないかな、というレベルな延岡市の色街跡。
近くに来た際には立ち寄ってみてはいかが?

[訪問日:2017年12月31日]


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