長い日本の歴史上、伝説的な一揆として語り継がれる「島原の乱」。
弱冠16歳のカリスマ青年、天草四郎を指導者に蜂起したキリシタンたちが、幕府軍に決死の抵抗を試みるも圧倒的な彼我兵力差で鎮圧された悲劇の事件である。
昨年、「潜伏キリシタン」の関連遺産が世界遺産に登録され、今、最も熱視線を注がれているエリアと言っても過言ではない島原・天草地域。
…これはもう、観光に行くしかない。
遊郭跡を・・見るために。
船で来た。
島原へ向かうため、筆者は熊本フェリーターミナルへ来ていた。
日本一島の多い長崎県は、旅人泣かせのとても猟奇的な地形をしている。そのため、船でショートカットしたほうが近いということが往々にしてある。
島原についても、長崎市内よりもくまモン帝国から有明海を渡ったほうが距離的に断然近いのだ。
そんなわけで、雲仙岳を眺めながらジャスト1時間の船旅を満喫。
なお、熊本~島原航路は今回乗った九商フェリーの他に熊本フェリーがあり、こちらは割高になるけど半分の30分で到着する。
迎えてくれたのは島原市の公式ゆるきゃら、島原守護神「しまばらん」。
妖怪ウォッチの作者(島原出身だそうな)がデザインしたという、なかなか贅沢なキャラクター。
(ぱっと見、鳥山明かと思ったけど。。)
新地橋
下船後、島原外港から北へ10分ほど歩く。
島原鉄道の南島原駅手前を海側に折れる。すると、一本の橋が目の前に現れる。
この橋の先が、本日の目的地だ。
君の名は・・「新地橋」。
フルスイングで応えるのが礼儀だと言わんばかりの、渾身のど真ん中ストレートである。たぶん軽く150kmは出てるだろう。
すっかりルーチン化した電柱観察で、「湊新地」の文字を見つけた。
というか、ここ、そもそもの話として
現住所が「湊新地町」なのである。遊郭の名残がそのまま地名として残った場所なのだ。
橋を渡ったら間髪入れずに踏切を渡る。
電車が停まってるあたりが南島原駅。
湊新地遊郭
キョロキョロしながら歩くと、ぽつぽつと名残たちが姿を現し始める。
元妓楼に見えなくもない大柄な建物。かなりでかい。
往年のモザイクタイル。
二階への階段が表に面している。
設計意図が分かりやすすぎてつらい。
脇道は先で左に折れる。突き当たりは運河になっていた。
次頁、ここの成り立ちや歴史について少々追ってみたい。
(2ページ目へ続く)
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