一度来たことのある街の景色は、たとえ長い歳月が流れても案外憶えているものである。
佐世保はちょうどそんな街だった。
7年ぶり。過ぎ去った時間を振り返り、しみじみとした旅情を噛みしめながら坂を上って行った。
最高気温が40度にも届きそうなほどの猛烈に暑い一日だった。
コインパーキングに車を停めると、そこはもう結界の中だった。
勝富遊郭
そこは、現在の勝富町に明治26年(24年と書かれた資料もある)につくられた格式の高い遊里だった。
佐世保は明治時代に鎮守府が置かれた、軍港都市である。色街の形成にいたる流れは、横須賀、舞鶴、呉らの他都市と何ら変わりない。
付け加えるなら、町の北側、高台に新たに開かれた勝富遊郭はその生い立ちが横須賀の柏木田によく似ている。
夢の跡を歩く
円柱豆タイルを持つ有名な遺構は、植物による侵食がだいぶ進行していた。
あと何年もほっといたらラピュタのようになってしまいそうだ。
※解体されマンションに建て替わりました
『全国遊廓案内』の頁を繰ってみると、「貸座敷が十六軒に娼妓は百五十人」と大店が多かったと思われるような規模感を読み取ることができる。
事実、佐世保にもうひとつあった「花園遊郭」と比べ、勝富のほうが格式高く客ももっぱら海軍の上級士官であったという。
時代が昭和へ下り、やはり軍港の宿命であろうか。戦災で壊滅的な被害を受けたが、戦後は赤線として再興し昭和33年まで続いた。
ざっと歴史を俯瞰するとそのような感じになる。
駅から離れた住宅街の中に唐突にビジネスホテルが現れるのも元色街ではよく見かける光景。
すでに廃業しているような雰囲気だったが、場所が場所だけにニーズも少ないのだろう。
お隣には、同じ名前の割烹旅館「松竹荘」がなんとも扇情的な表情を見せながら立っていた。
現在の勝富では随一とも言える遺構。とにかく素晴らしいの一言に尽きる。
まだあってよかった。
見どころが多く、ゆっくり観察したいのにそれができないもどかしさ。
願わくば泊まってみたいが、おそらく旅館としての役目はもう終えている気がする。
玄関上部には色ガラスが嵌められており、どこからどこまで意匠が凝っている。
どの建物も一様に傷みが激しく、流れた歳月の長さを思う。
戦後とは言え、すでに70年以上が経っているのだ。
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