3分間の船旅で!北九州・戸畑&若松の赤線跡をさらっと見てきました

福岡県
この記事は約2分で読めます。

北九州の若松へは電車でも行けるけど、小倉方面から行く場合は戸畑から船に乗ったほうが圧倒的に早い。

わずか3分の船旅。船内のTVでは高校野球が流れていた。
炎天下で白球を追う球児たちを見てたら、暑さにバテてる場合じゃないぞと思えてきた。

対岸に戸畑の町を眺めながら、今一度気合いを入れ直す。

スポンサーリンク

石炭の積み出し港として

若松港は、明治以降石炭の積み出し港として大いに栄えた。
産業がおこり人が集まれば、まちも賑わう。

かくして男たちの町となった若松には明治34年に連歌町という遊郭ができ、その後洞海湾の近くにも新地という遊び場ができた。

船と電車の時間の兼ね合いで、このときは新地のほうだけ見てきた。

若松は古いまちなので、この日行けなかった連歌町の他にもレトロアーケード商店街なんかもあるようでいつか時間をかけてじっくり歩いてみたい。

この若松も来る前からわかっていたことだけど、新地のほうも名残はほぼ皆無。

名残らしい名残と言えば明治町銀天街あたりで見かけたスナックと

このちどり横丁。
おそらくこのあたりが新地だったのだと思う。

通りの雰囲気はこんな感じ。

あとはこんなそそられる路地裏と。

 

でも意外と古い建物は残ってないもんだなぁと思ってたら

 

お、あったあった。
これはなかなか素晴らしい。

もういっちょ。こちらもなかなか。

最後に。大正2年(1913)に建てられた上野海運ビル。当時は「旧三菱合資会社若松支店」だったビル。

現在はカフェやいくつかのテナントが入居しているそう。
カフェはちょっと入ってみたい。

若松編はだいぶざっくりになったけど、何にせよ戸畑と若松は近いのでセットで行けるのがいいですね。

※およそ1年半後に若松再訪しましたのでこちらもあわせてどうぞ。

あり余るノスタルジー。北九州・若松区「大正町商店街」
国内有数の炭鉱だった筑豊炭田。産出した石炭の積み出し港として発展したのが北九州の若松港である。明治2...
連歌町遊郭と赤線跡 - 北九市若松区
前回の記事で、若松が筑豊炭田で産出した石炭の積み出し港として栄えた歴史を持つと言う話をした。 となる...

[訪問日:2018年8月16日]


コメント

  1. 若松出身者 より:

    20年程前まで若松に住んでいました。最近全然行けないので、懐かしい風景、ありがとうございます。若松の家から若戸渡船に乗って小倉にある学校に通学していました。

    祖母が「連歌町の辺りは遊郭があった所だから、今だに遊女の霊がいて、特に若い女は祟られたりするから近づくな」などと、よく申しておりました。でも、あの辺りは大きなスーパー(今は潰れました)があったり、便利なので、気にせず行ってました。私は0感なので、何もありませんでした。まあ、炭鉱で栄えた街ですので、元気な若いお兄さんが沢山、遊郭の需要は相当にあったんでしょうね。若松の栄えた頃の様子は、ご興味があれば火野葦平「花と龍」をお読み下さい。

    若松は寂れ行くばかりの街ですが、このようにご紹介くださる方がいらっしゃると嬉しいです。

    • machii.narufumi より:

      心温まるコメントありがとうございます。大変嬉しく思います。
      実は私の身内があの辺りの出身でして、個人的には縁もゆかりもないのですがなんとなく思い入れのある土地なのです。
      連歌町のエピソードはとても興味深いお話です。お祖母様の時代は若松がとても栄えていた頃だったのですね。
      本まで教えていただき恐縮です。若松にはまた足を運びたいと考えているので、その前に是非読んでみたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました