洲崎遊郭跡探訪~失われたパラダイスを訪ねて~

東京都
この記事は約2分で読めます。

洲崎は明治21年(1888年)9月、根津遊郭の引っ越しによって開業した。実はこれは、現在の本郷に東大が統合移転することが決まったため、「風紀上よろしくない」という理由で強制移転させられたのだ。
前編の「本金楼」も、この根津からの移転組である。

スポンサーリンク

消えた赤線時代の遺構たち

0012

元サンエスの路地を東へ。先日書いた亀戸同様、洲崎も東京大空襲で焦土と化し、戦後は大門通りの東側が「洲崎パラダイス」という特飲街になった。

0013

サンエス同様、青い柱がアクセントとなったカフェー建築が近年まであった場所。
三連窓が窪んだ意匠が先代とそっくりなので、おそらくオーナーさんが意図的に継承したのではなかろうか。

0014

そしてもう一軒。大賀(タイガー)楼というこちらも代表する遺構が近年まであった場所。行く前からわかっていたことではあったが、書けるような話はここまでに紹介した三軒がすべてで、実はこれ以上は何もない。

0015

それでも何か痕跡はないものかと、一応付近をくまなく歩いてみた。
レトロな居酒屋が一軒。
パラダイス時代は「乙女」という屋号だったのではないかと思われる建物。

0016

往年のトタン物件も健在。

0017

ところどころ、当時から残ってそうな建物はあるものの、だいたいが新しい家に建て替わっていてさすがにげんなりしてくる。パラダイスの歴史は完全に潰えてしまったのか。

0018

郭内の東端に来たら、外側の道が少し高くなっていることがわかった。これも遊郭の名残と見て間違いないかと。
確か水路があったはずだから、坂の上は橋だったのかな。

0019

ご覧のとおり、現在は清々しいほどに閑静な住宅街に変貌を遂げてしまっている。
駅からも都心からも近いことが仇となって、呆気なく再開発の波に呑まれてしまったんだろうな。
無念なり。

0021

北側の一角に地味に自己主張の強いホルモン屋があった。パラダイス時代に「玉勝」というお店があった場所。
あまり大きな声で言えないけど、もう精力つける必要ないと思いまっせ。

0020

パラダイスの中央を南北に貫く通りの終わりがここ。正面は最初に紹介した洲崎川緑道公園。

(3ページ目へ続く)

コメント

  1. 秋葉 邦彦 より:

    ここって根津遊郭が移転したところですよね?

タイトルとURLをコピーしました