そこは天空の村!日本三大秘境にある『東祖谷落合集落』を訪ねた

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目が覚めて、窓を開けた瞬間現実に引き戻された。

外は異次元の寒さだった。


今自分は徳島の祖谷地方、すなわち日本三大秘境と呼ばれる僻地に来ている。


記憶から消してしまいたかった残酷な現実を思い出した。

さらに、このチェックアウト前のアンニュイな気分にさらに追い打ちをかけるかのような事件が起きた。
出発しようと外に出たら、バイクがバリバリに凍っていた。この時点で嫌な予感はした。そう、

 

あまりの寒さで、エンジンがかからない。。

 

何度セルを押せど、キュルキュルと間の抜けた音を虚空へと奏でるばかりでうんともすんとも言わねぇ・・

焦燥感に苛まれながら15分ぐらい格闘し、ようやくエンジンがかかったときにはすでに賢者モード並みのやり切った感に支配されていたが、無理やり気持ちを奮い立たせ最初の目的地へと向かった。

なぜリスクを冒してまでこんな秘境へやって来たのか。解はいたって明快で、そこに行きたい場所があったからである。

「平家伝説の里」と呼ばれる、東祖谷の落合集落。
最近では『天空の村』と呼ばれることも多い、マチュピチュ感あふれる山村集落である。

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割とガチっぽい平家伝説

俗に言う平家落人伝説と言うのは、全国各地に腐るほど転がっている。

源平合戦に敗れた平家の残党が、山奥や離島へ落ち延びたと言う話で、昔行った湯西川などもこれにあたる。

源平合戦の最終ラウンドとなったのが下関の「壇ノ浦の戦い」である。
このとき、時の天皇だった安徳天皇は弱冠6歳と言う若さで関門海峡に沈められてこの世を去った。

まだ物心もつかぬ2歳のときにわけもわからないまま天皇にされ、年端も行かぬ少年時代にこれまたわけもわからず身投げさせられた日本史史上稀にみるついてない男である。

しかし、である。

このとき入水したのが実は影武者で、生き延びた安徳天皇一行は平家再興の望みを繋ぐべく、祖谷にやって来てこの地で最期を迎えた・・

と言うのが祖谷地方に残る平家伝説の大枠である。

都市伝説の域を出ないものの、話としてはなかなか面白い。
何より、これほど山深い地域なのでそういう伝承もなんか信じられそうな気がしてくる。

落合集落を見る

歴史を紐解いてみると、中世にはすでに集落が形成され、近世には煙草や馬鈴薯の栽培が確認されたらしい。
昭和40~50年頃まで葉煙草や各種麦、稲の栽培、また、養蚕を行う山村集落として維持されていた。

見ての通り、集落はものすごい急斜面にある。もはや平地などまったくない。

屋敷や水田に必要な平地は石垣を積んで確保されており、水が流出しないように粘土質の土を盛るなどの工夫が凝らされているらしい。

人里離れた山奥で生きるための知恵・・おばあちゃんの知恵袋も真っ青の“本物”がここにはある。

2005年12月、「山村集落」として重伝建になった落合集落。
江戸時代中期から後期の古い民家が崖にへばりつくように点在し、自然と調和した独特の景観を形成している。

建前的にはそんなところであろうが、こんなあり得ない山奥に人の営みがあると言う事実。
ここで目にしたものは理屈を超越した現実だけだった。

むしろそうした人の感情に働きかける無形の何物かこそが、この集落の本当の価値であり魅力ではないかと、そんなことを思った。

長岡家住宅

崖下のほうに、無料開放されている伝統的建造物「長岡家住宅」がある。

建てられたのは明治34年。一般公開のために市が復原修理を行い、平成22年3月に完成したそうだ。

どうでもいいけど、令和に入って「平成○○年って何年前だっけ?」っていちいち脳内で計算が発生するようになって地味に煩わしい(笑)

囲炉裏部屋。

梁もなかなか太い。

ザシキ

落合集落で一般公開されている建物はおそらくここだけだと思うので、是非とも立ち寄られることをオススメしたい。

展望台にも行ってみた

山の斜面にへばりつくように集落が存在する様子がよくわかる、巷でよく見かける写真の撮影スポットがV字谷の反対側の山にある。

“天空の村”感がよくわかる

これまで日本全国あちこち行ったが、東祖谷の落合集落。
ここは想像を絶するような秘境の中の秘境だった。

いつかまたここへ行くことがあれば、今度は集落の中で宿をとってみたい。
できれば雪化粧の時期に。

[訪問日:2018年11月24日]

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