うどん県東かがわ市の引田の町並み。
そもそもどういう歴史があるのか、と言う話をこの辺でしておこうと思う。
引田の歴史
引田港の北側に微妙に突き出た半島がある。
このおかげで風が遮られ、「風待ちの港」として機能したことが引田の繁栄の礎となった。
栄えたのは江戸時代のこと。風待ちの商人たちが滞在する引田には料亭、商店、旅館などが100軒ほども軒を連ねることになり、それはそれは賑やかなまちだったそうだ。
このおかげでいわゆる地場産業だった醤油醸造(安土桃山時代に始まった)も大きく伸びることになり、廻船問屋を手掛けるよう豪商まで輩出した。
この旧松村医院ははじめ清酒の醸造に使われ、その後医院として利用された建物。
明治37年に醤油の製造を始めた山本家。建物は明治時代。
この建物もなかなか趣があって良い。
今歩いてきたメインストリートを「本町通り」を呼び、古い建物はほとんどがここに集中している。
ただ、そこまで密集してるわけではなく、年代も江戸~昭和と比較的ばらけてるので統一感はあまりない。
とは言え、建物ひとつひとつはそれぞれに趣深さがあってなかなか見応えがある。
正直、時間調整のおまけ程度にしか考えてなかったのにいい意味で期待を裏切られた。
そのときだった・・
この、何の変哲もない町家の前ではた、と足が止まった。
おや・・
!!?
料 理 店 !!
まさかこんなとこでこんなものに・・
これだからまち歩きは楽しいんだよ。(ちなみに香川の鑑札は初めてだった)
その少し先、橋を渡ったところに休業中の元旅館があった。
明治~大正期あたりの建物を、高度経済成長期に旅館にしちゃいました、みたいなストーリーでしょうか。
※ネオンからの適当な想像です
どうも古い町並みはこのあたりまでのようだ。そろそろ戻るか。
帰りは本町通りの一本東の路地から戻った。
この通りにもちょこちょこと虫籠窓の古い町家が見られた。
四日間かけて四国東部をぐるっと回ったツーリング旅。
このあと、高松港14時ちょうど発のジャンボフェリーで帰路についた。
本当はこの旅はGWに決行するはずだったのが、仕事で行けなくなって延期したという経緯があった。
もしあのとき行けてたら。
のちに訪れる転機はやってこなかったかもしれない。
今でもたまにそんなことを考える。
[訪問日:2018年11月26日]
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