門司の色街。旧赤線「新町」の今

石炭の輸出港から、やがて国際貿易港として。人やモノが集まり、港湾関係者で賑わった門司には、やはり自然な成り行きで色街ができた。

明治時代に開業した「馬場遊郭」がその始まりとされるが、これについては日を改めてきちんと調べてから書きたいと思っている。

今日は、新町(現「錦町」)にあった赤線の話をしたい。

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そこには確かに赤線があった

現錦町2丁目、スーパーマーケット「ハローデイ」のすぐそばに新町の赤線はあった。
狭い路地に、六軒という規模で営業していた。

ほんの10年ほど前までは、貫禄ある木造の遺構がまだ残っていたようだが、見ての通り真新しい戸建てに建て替わっている。(写真左側)

ただ、そのうちの二軒は今でも健在。1年前と、2020年の年明けにそれぞれ確認したがまったく変化はなかった。

この有名なくり抜きは、長い間ずっと瓢箪だと思っていたが、最近、「女体」だと知って深いショックを受けた。

確かに、そう言われてみればそんな形をしている…。

もう一軒は特徴的な斜め扉を設えており、淡い色のタイルが印象的だった。

この錦町から見て山の手方面にあたる清滝エリアは、最盛期には料亭がばんばん立ち並ぶ華やかな花街だった。

錦町には置屋があったと言うから、赤線がこの場所にできたのはそんな地理的な要因が大きかったのだろうと思う。

なお、唯一現存する「三宜楼」の威容に花街時代の名残を見て取れるが、残念ながら休業日で中の見学は叶わなかった。

先ほどの建物を正面(おそらくさっきのは裏手)から眺めてみると、いずれも三階建てだったことに驚く。

今はなき遺構も同様のつくりだったようだ。

残る二軒のお宅は、いずれも住宅として大事に住まわれている印象だった。
まだしばらくはこのままの状態を保ってくれそうな気がする。

先の並びには五軒の建物(うち一軒は駐車場)があった。全部で六軒あったと言うので、残るひとつはおそらくこれだろう。路地を直角に折れたところに建っている。

裏手から見るとその奥行きの長さがよくわかる。
こちらも住宅として今も大事に使われている印象だった。

角地に建つ元旅館の建物

ところで、馬場遊郭についても少し触れておきたい。
現在の関門トンネル入口付近にあった色街で、往時の雰囲気を持つ建物が今でも辛うじて残っている。

遺構なのかな・・

また、国道をはさんだ反対側、旧蛭子町にもかつて色街が存在していた・・ことを最近知った。

通りには、一軒だけ遊郭時代の建物が残り、現在は門司港で唯一のゲストハウス「ポルト」として新たな人生を歩んでいる。

次回、そのポルト編。
乞うご期待。

[訪問日:2018年12月29日、2020年1月2日]


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