博多・大浜赤線跡 ~消えゆく遊里の証跡~

新柳町遊郭の歴史の中で、柳町の遊里はかつて今の下呉服町(大浜公園のあたり)にあったという話をした。

 

この大浜について、『全国女性街ガイド』に以下の記述がある。

赤線は新柳町のほかに、海岸寄りの前の私娼窟「大浜」が復活し、百二十軒に四百五十名の女がいる。

この、不死鳥のごとき復活を遂げた赤線があった場所が、旧柳町遊郭から西へ500mほど離れた「紙屋町」界隈である。

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極めて予想通りだった

大浜の赤線は『赤線跡を歩く2』にも載っているし、これまで多くの人が訪れているので自分の作業は“現状確認”だけでよかった。

気楽なもんだ。

もっとも有名なカフェー建築は健在。
まだしばらくはこの場所で歴史を語り続けよう、そんな一途な思いを胸に秘めた様子でそこに建っていた。

あまたの先人たちを魅了してきた、往年の豆タイルにやはり魅了されてしまう。
素晴らしい意匠だ。

 

付近をぶらぶらと歩いてみる。

すでにある程度のリサーチは終えていたので、どんな遺構があるのかはここに来る前からわかっていた。

窓枠に豆タイルを設えた、控えめな建物。

こちらは転業アパートだろうか。

ここ数年で姿を消したものがあるでもなく、近いうちに消える運命にあるものがあるでもなく、まるで現状維持バイアスが働いているかのように平穏さを保っていた。

長い歴史で見れば、こういう“安定期”だってやはりある。

 

そして、少し分かりづらい場所にあるこちらの建物を忘れてはならない。
ダイナミックなタイル模様を配した、無骨な力強さを宿している。

少し視点を引いてみよう。

周囲の風景に完全に存在をかき消されてしまっている。

“再開発”という言葉に違和感を覚えるほど、ごく普通にマンションが立ち並ぶ、有り体に言えば極めてありふれた景観である。

こんな場所で今でもしぶとく生き残っている遺構たちには、最大級の賛辞と謝意を贈りたい。

これは・・どうだろう。

最後。こちらの有名物件はまだ元気そうだった。

消えた遺構たち

ストリートビューを眺めてみると、涅槃に至った遺構たちの在りし日の姿を拝むことができる。

犠牲となった彼らに静かな祈りを捧げながら、大浜の地を後にした。

[訪問日:2019年1月2日]


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