博多・新柳町遊郭跡 ~色街の残影を求めて~

九州最大の都市、福岡市(博多)はやはり色街の規模も大きかった。

かつて、長崎丸山遊郭、熊本二本木遊郭とともにその名を馳せた“新柳町遊郭”。
その痕跡を探して、当地をぶらぶらと歩いてきた。

柳橋連合市場からほど近い場所にある「清川ロータリー」(中央区清川2丁目)。
かつての遊里はこの一帯に広がっていた。

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新柳町の歴史

「新」と付くぐらいだから、「旧」もあるんじゃないかと勘ぐった方は察しがいい。

柳町遊郭は、元々現在の博多港近くにあった。(博多区下呉服町)

ご丁寧に誰かがスポット登録してくれとる( ゚д゚)

 

ところが、明治後期に帝国大学ができることになり、「近くに遊郭があるのはマズい」との理由で現在の場所に移転させられることになった。

旧帝大。これはもちろん今の九大医学部のこと。

東大と根津遊郭の関係によく似ている。(根津遊郭はその後洲崎に移転)

かくして、明治44年に移転が完了した新柳町遊郭は、昭和33年の売春防止法までの50年足らずをこの地で過ごすことになった。

一番左の建物は昨秋解体されたそうだ

『全国遊廓案内』によれば、貸座敷四十二軒、娼妓五百二十人と相当の規模だったことがわかる。

戦災では一部焼失したものの、戦後は赤線として再び隆盛を極め、『全国女性街ガイド』には七十六軒六百四十八名の規模だったことが記されている。

そんなわけで、とんでもなくでかい遊里だったことはよくわかった。

なお、赤線の灯が消えてから数年後の町名改正で「柳町」の名は消滅し、現在の地名は先述のとおり清川である。

往時の名残をとどめる建物

さ、そんなわけでそろそろ名残を探しに行きましょうか。

 

裏手には那珂川が流れている。遊郭があったのは左手になるが、見ての通りすっかりマンションが立ち並んでいる。

博多駅から徒歩15~20分ぐらいで行けてしまうリバーサイドエリア。さすがにこうなってしまうのは無理もない・・

と思いきや、往時の繁栄を今に伝える料亭「三光園」が今でも現役で営業を続けている。

創業昭和元年、数寄屋造りの建物と庭園を持つ、敷地600坪以上を誇る老舗料亭。

前に立っても、長い塀がトトロの森みたいになってて中がまったく見えない。

正面。自分みたいな小者が入ったらつまみ出されそうなぐらい格式高そう。。

会席料理一人10,000円より
ランチ一人6,000円より

あぁ、これぐらいだったら全然行ける。もっと高いと思った。

一度食事に行ってみたいなぁ。(興味はほぼ建物w)

赤線の痕跡を探せ

さすがに営業終えて70年経ってるし、場所が場所だから名残なんてもう何もないだろうなぁ・・って思いながら歩いたら、それがそうでもなくてまだ辛うじて残っていた。

この二棟、特に右側の三階建ては赤線の名残のような気がする。

稲荷神社。

鍵かかってるけど手前から拝むんかな。。

和風な感じの旅館。

赤線時代の意匠と思われる建物。

これもわかりやすい。

こんなのもあった。

仕出し屋さん。花街の名残かな。(料亭からも分かる通り、新柳町は芸者も多数いた)

電柱には「大門」の文字。
門柱があったかどうかはちょっとわからないけど、ロータリーから伸びる通りがかつての目抜き通りだったようだ。

昔の新柳町遊郭(『遊郭をみる』より)

大正期頃だろうか。

 

かなり宅地化が進んだとは言え、まだギリギリのところで痕跡をつなぎとめる新柳町遊郭。

次行くときは・・三光園で食事かな。
さすがに一人じゃ厳しそうだから、一緒に行ってくれる人探さないと。

おしまい。

[訪問日:2019年1月2日]



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