旧東海道の難所 宇津ノ谷を歩く

静岡県
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旧東海道の難所のひとつ宇津ノ谷峠の中腹にある、今なお茶屋宿の名残をとどめる宇津ノ谷集落を歩いてきた。
果たして、その難所っぷりはどれほどのものであったのか。実際に歩いて確かめてきた。

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階段から旧東海道を見下ろす。
こうしてそこはかとなく佇んでいると、賑わいを見せた江戸時代の情景がありありと脳裏に浮かんでくる・・なんてことは、まるでない。

さぁ先を急ごうか。

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昭和レトロ全開な牛乳ポストに時の流れの緩やかさを思う。
後述するが、実は宇津ノ谷峠は平安時代に始まり江戸、明治、大正、昭和、平成すべての時代の名残が垣間見れる極めて稀有な場所なのである。

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赤線跡めぐりで身についた、玄関先の鑑札を一瞥するという酔狂な習慣が奏功し、またもすごいモノを見つけてしまった。
これは初めて見たなぁ・・。
心の中で最敬礼してから先へ進む。

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もう少し上がると、旧東海道と宇津ノ谷集落が一望できる場所に出る。
いやぁ、こうして俯瞰してみると壮大な眺めだな。

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明治のトンネル

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明治9年(1876年)、旧東海道の交通量増加に伴い日本初の有料トンネルとして開通したのが、この通称「明治のトンネル」。これは一度火災で消失したのち、明治37年(1904年)に修復されたものである。

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宇津ノ谷峠越えの旧東海道は、ちょうどこのトンネルの真上あたりを通っていると思っていただければだいたいOKである。
先述の時代のくだりについては、江戸時代が旧東海道、そして明治時代がこのトンネルとなる。

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大正トンネル

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しかしどう見ても車1台分の幅しかない明治のトンネルは自動車の普及に対応できなくなり、1930年(昭和5年)、その西側にこの宇津ノ谷隧道が開通する。
開通そのものは昭和だが、計画が大正ということで「大正トンネル」と呼ばれる。すなわちこれが大正時代である。

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明治のトンネルを抜けた先で、山越えしてきた旧東海道と合流する。
そのままトンネルで戻っても面白くないので、復路は満を持して峠越えをチョイス。

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前編で触れたとおり、宇津ノ谷が丸子宿と岡部宿の中間にあることがこの立て看板からも見て取れる。丸子方面が宇津ノ谷集落へ戻るルートとなる。「つたの細道」とは、国道一号線の東側、つまり旧東海道から見て反対側にあった古道でこれこそが平安時代以降使われていた峠越えのルートである。

ただしこのときは疲れたので 時間の関係で歩かなかった。

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さぁ、いざ宇津ノ谷峠へ・・ってぬぉ!
なんじゃこりゃあ・・ありえねぇ。想定していた難所のレベルを軽々と越えている。
これがかつての五街道か・・

※写真からは伝わりにくいですが、実際かなりの急勾配です

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何の苦行だよ・・ハァハァ言いながら登って行くと地蔵堂の跡に出た。
地蔵堂とは旅客が旅の安全を祈願した場所である。

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さらに進んで行くと、宇津ノ谷の集落が一望できる視界の開けた場所に出る。
この風景で疲れも一気に吹き飛んだ。爽快也!

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というわけで、宇津ノ谷集落の先、旧東海道の登り口まで無事戻って来た。
旅先でかく汗はなぜかくも気持ちいいものなのか。
ちなみに出て来なかった昭和と平成は、現在の東海道(国道一号線)のトンネルがそれにあたる。

実のところ峠越えは計画外だったのだが、古道だってレトロな風景に変わりはないよな・・となかば意味不明な理屈で自分を納得させて結局登ってしまった。
宇津ノ谷のような渋い宿場の町並みもまだ見たいところが結構あって、大内宿妻籠宿奈良井宿あたりはいつか必ず訪れたいと思っている。

[訪問日:2014年5月4日]


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