昨夏、久しぶりに富士吉田を訪れた。
目的は、月江寺~下吉田界隈の様子を確認すること。
前回は2013年10月。
実に6年ぶりだった。
せっかく富士吉田まで来たのにMt.Fujiの雄姿は拝めず。。
まぁこればっかりは運なのでしょうがない。気を取り直して散策開始。
懐かしい。
ただただ懐かしかった。
前回ココに来たときは横浜に住んでいて、
単車で2泊3日の山梨ツーリングに出発したら・・
財布(の入ったかばん)をうっかり家に忘れたことを山梨に入ってから気づき、1泊に短縮しつつもオンライン決済とモバイルSuicaだけで強引に乗り切る
と言う過去旅ワースト3に入る強烈な事件が起きたので、ここへ来たら嫌でもそれを思い出してしまい何とも感慨深かった。
ミリオン通りはまったく変わっておらず。
時計が壊れたかのごとく、相変わらず時が止まっていた。
ここは前回しっかり写真撮ってるのでさらっと。
雪辱を果たしに来た
今となってはまったく訳の分からないことで、当時の写真を確認してみるとこの「アポロ」は確かに撮っていた。
素晴らしいカフエー建築。
まだ健在だったので安心した。
これは通りからもよく見えるのでそりゃまぁ撮ってるよな。ここまではわかる。
でも、なぜ対面のコレを見落としたのか。。
どん!
これな・・
もうね、「お前の目は節穴か!」と・・
この建物、巷ではすごく有名。
見逃したことには割とすぐ気づいたので、6年間ずっと歯がゆさともどかしさに苛まれ続け、ご飯も一日三食しか喉を通らなかった。
そんな、「日昇旅館」と書かれたこの建物。デザインも旭日旗と名前そのまんま。
紫のランプが異様なほどに艶めかしい。
調べたわけではないので明言はできないけど、やはり元は赤線的な建物だったのだろうと推測する。
富士吉田の盛り場の歴史はなかなか興味深そうなので、機会があれば調査してみたい。
お隣には、円窓を持つこれまた艶っぽい建物。
紫陽花の葉がなんとも「和」を感じさせる。
今回は、前回歩かなかった路地を重点的に散策した。
当時はまだ路地裏も隈なく歩く癖がなかったので、そのせいで結構色んなものを見落としていた。
しかしこの界隈、前回同様ほとんど人に会わない。
唯一、日昇旅館さんをスマホで撮ってる“同業者”に出くわしたぐらい。一瞬話しかけようかとも思ったけど、おっさんだったので 何となく気が乗らなかったのでやめておいた。
まち歩きしてると“同業者”っぽい人はちょいちょい見かけるけど、そこから交流が生まれるってことはほとんどない。お互いソロ活が多いしね。
まぁ、同業者を見かけるのはそこそこレアケースだけど、地元のおっちゃんおばちゃんと他愛もないことをしゃべり始めて話が盛り上がる・・なんてことはそれなりにある。
こういう一期一会もかけがえのない思い出の一部。
さて、ふらふらと迷い込んだここも、前回歩いてなかった路地のひとつ。
まち全体が昭和30年代を再現したテーマパークかと思うぐらい、このエリアはホント見どころが多い。
そして、今回富士吉田にやって来たもうひとつの目的がこの先にある。
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コメント
どん!じゃなくてガーンでした。本日2023年4月16日にこの場所を訪問しましたが、更地になっておりました。アポロは無事でしたが、旧日昇旅館がなくなった以上、油断できません。どうしても諦めきれず、何か痕跡がないだろうかと更地をウロウロして、もしかしたら旅館の時に使っていたかもしれない、皿のかけらやキリンビール?の名前入りガラスコップのかけら。お風呂場のタイルと黄色い外壁の小さい塊を拾いました。
何ということでしょう…。
さすがにショックを隠しきれません。
調べてみたところ、1月末頃に解体されたようです。
しかしはるばる行ったのに残念でしたね。
心中お察ししますm(__)m
ついでですが。月江寺駅より一つ手前の下吉田駅で下車したのですが、その駅はなんと電鐘式踏切を使用していました。今のようにカンカンという電子音ではなく、カチンカチンといった懐かしい音がします。これぞ昭和ど真ん中だと思いました。残って欲しい!
下吉田。駅のすぐそばの踏切ですね。
昔そこの線路から写真撮った記憶があります。
電車来なかったので警報機の音は聞かなかったですが…。
次回行くことがあれば音を聞きに行ってみます。