江戸時代に遊郭が置かれ、連綿とした歴史を紡ぎながら今は特殊な浴場街になっている那覇市、辻。
辻の一角に、花街だった歴史を示す貴重な案内板が設置してある。
前頁で“自治都市”を築いたと書いたとおり、ここはひとつの村として構成された場所だった。
辻村跡(チージムラアト)がその事実を物語っている。
1935年頃の旧辻村の市街地図。
同じく1935年の那覇市街地図と辻村の位置を示す赤枠。
尾類の一日。
4時に寝て10時に起きる生活。
深夜バイトをしていた学生時代の筆者もこんな感じだった(遠い目)
起きれなくて落とした単位もたくさんあった(涙目)
「琉球美人」と称されたジュリたち
皆さん美人ですね。
辻村では「ジュリ馬」という行事が行われていたようで、そのときの様子とジュリ馬装束に身を包んだ女性の写真。
この方も美人ですね。
辻遊郭開祖之墓
鬱蒼とした森は小高い丘のようになっていて、階段を上がると何やら墓が四基並んでいる。
沖縄(琉球王国)は、各地と交易のあった国である。
尾類は中国からの冊封使や日本(本土)からの商人たちをもてなした、元々は首里城にいた素養の高い女性たちだったそうだ。
ここにある位牌は遊郭創設時の遊女たちの墓で、名前のところには首里御殿を表す言葉がついている。
もうちょっと辻をぶらぶら
辻は戦時中の1944年10月、空襲によって焼け落ちてしまい長い長い歴史に終止符が打たれた。
戦後、那覇は米軍に土地を接収されていたので遊郭の再興がままならず、結局1952年まで待たなければならなかった。(「栄町社交街」の記事を参照)
この再興の契機となったのが、件の「料亭松乃下」である。
その後は、料亭をはじめバーやクラブが立ち並ぶ歓楽街として栄えることになる。
1958年完全施行の売春防止法。沖縄では1970年一部施行、本土復帰の1972年に完全施行となった。14年ほど遅かったのである。
これにより、本土と同じように表向きの営業は姿を消し、現在では沖縄県下唯一の、“泡の国”の営業許可地域となっている。
という訳で、最後はお風呂屋さんを眺めて締めましょうかね。
外観があまりにも沖縄すぎる…。
この割烹も花街だった名残だろうか。
辻では、京都の花街のように「一見さんお断り」で、しかも尾類が客を選べる制度だったそうだ。
しかし、選んだ客にはとことん尽くし、男の成功を心の底から願った・・
「義理・人情・報恩」
今の辻にこの3つは備わっているのだろうか。
そんな無粋なことを考えながら、350年の歴史を持つ色街を後にした。
[訪問日:2019年3月24日]
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