仕上工場、第二坑捲、会議室、30号棟を望む。そろそろ島の最南端(実際は南西)に到達するというあたりまで来た。
通路の反対側には1958年(昭和33年)完成のプールの跡。
しかしコンクリートのプールなんて、一歩間違ったら大けがしそうで怖い。
第3見学広場より。正面が30号棟、左が鉱員社宅の31号棟。鉄筋コンクリート製の6階建、1957年(昭和32年)築。
郵便局があったのがこの31号棟である。
間にちょろっと見えてるのが職員の社宅、25号棟。
めいっぱい望遠側に寄せて撮影。あぁ、望遠レンズを持っていなかったことが悔やまれる。
しかし軒並み著しい風化で目も当てられない状態になっている。窓ガラスはとうに崩落。コンクリートが剥げて一部鉄骨が見えているという有り様。
見えている鉄骨もサビてどす黒くなっている。24時間365日潮風を浴び続ければそりゃサビますわな。
実は軍艦島内部はストリートビューで見れる
一般見学客が行けるのはここまで。本当の見どころはこの先なんですがね。
筆者は廃墟マニアではないが、それでもこれほどの一級品はやはり見てみたい衝動に駆られる。
ちなみに天下のGoogleさんが長崎市の許可をもらって撮影した内部の様子が、実はストリートビューで見れちゃいます。
無断で上陸した廃墟マニアや、訳ありで特別に許可をもらった方々など、ネット上には立入禁止区域の写真がごろごろ転がっているので見てると色々面白い。特に小中学校の内部は荒れっぷりが芸術の域に達していて思わず嘆息が漏れた。
あっという間の軍艦島見学を終え、長崎港に戻るとしましょう。帰りは島をぐるっと回ってくれるのが嬉しい。
島の北東側から。左側が小中学校(70号棟)、真ん中が端島病院(69号棟)、そして右側が隔離病棟(68号棟)。
狭い島という閉鎖的な空間ゆえ、伝染病患者は隔離するしか方法がなかったのだ。
さらば軍艦島。
帰りの船内で観た、島の歴史をまとめたVTRがなかなかの出来で非常に勉強になった。
燃料が石炭から石油に移行する過程で島も衰退し、最後の島民が島を出るときの映像など。歴史に思いを馳せながら、色々なことを考えさせられた。
この島には確かに人々が生きた証があり、それをこの目で見れたことは本当に貴重な経験となった。
世界遺産に登録されれば現状維持が不可欠となるが、既に耐用年数を超え「延命不可能」と宣告された建物も中にはある。
今後、市が「観光」と「保存」をいかにして両立するのか。色々課題はあるが、日本の経済成長の一端を担った産業遺産を是非後世に残してほしいと切に願う次第である。
[訪問日:2011年5月4日]
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