和歌山県海南市にあった西新地。
もうちょっと続きます。
おなじみ『全国女性街ガイド』の和歌山の頁を繰っても、実は海南の「か」の字もない。
ここが載っているのは『三文役者のニッポンひとり旅』(殿山泰司著)で、「ああ海南のシャアゲイよ」のタイトルで12ページに渡り紹介されている。
この本、どんな本かと言うと、俳優、エッセイストとして知られる著者が、全国の遊郭赤線を訪ね歩いたいわゆる紀行文。
背表紙の要旨を一部抜粋すると
“三文役者”を自称しながら、幅広い俳優人生を続けた著者が、北は函館松風町から、南は沖縄波の上まで、「紅灯の巷」を彷徨する「好色旅行」。
有名な本なので読んでる方も多いと思いますが、是非ご一読ください。
話を海南西新地に戻そう。
あとがきによれば、この本は昭和46~47年に取材した内容をもとに書かれたものだ。
ネタバレになるので内容は書かないが、その当時まだ芸者を呼べてそれ以上のことが出来た、という貴重な証拠である。
そんな西新地には、老舗料亭が一軒残っている。
それが正面に見える「料亭美登利(みどり)」。
ちょうど昼どきでお客さんが数組入って行ったので今も普通に人気店なのでしょう。
鑑札(標識)が見えたから撮りに行きたかったんだけど、仲居さんが出てきたらさすがにちょっと気まずいから諦めました…。
かき惣
近くにもう一軒、当時から残る老舗料理屋があった。
牡蠣料理専門店の「かき惣」さん。
どうです?この惚れ惚れする意匠。
素晴らしい。。
・・おや?
おおぉ
見つけた!!
店が開いてなかったのが残念で、今度海南方面に行く機会があれば是非ここで食事をしてみたい。(それがなかなかないんだけど)
(´-`).。oO(こうして見ると結構でかい建物だなぁ…)
料亭美登利の正面。
かと思いきや、客の入口はさっきのほうみたいだ。
ってことはここは裏口?
大体の路地を歩いたからそろそろ終わりにしようか。
海南の新地を知ったのは殿山泰司の本だけど、行く前に正確な場所を知り得たのは、長い間遊里めぐりをされている関西の方のブログを参考にさせていただいたおかげだった。
直接面識はないけどときどき拝見していたブログで、何よりこの道の大先輩にあたる方。
このたび、記事を書くために久しぶりにブログを拝見したところ・・・
ご本人の訃報に接することになった。
闘病を続けられていたことは文章にもあったので知っていたけど、まさか・・という思い。
面識がないとは言え、しばしショックで呆然としてしまった。
この場を借りて。
心よりご冥福をお祈りします。
貴方の残した功績、足跡は、きっとこれから同じことをする若い人たちの助けとなり、道標となることと思います。
長い間お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
※次回、東新地へ
[訪問日:2019年5月4日]
コメント
平和旅館も潰されましたね😔
そうなんですか・・それは残念です(;_;)
全国の色街巡りとは面白そうですねぇ(^o^)
海南市民のモノノフと申します、現在はアメブロでさすらいの武士と言うブログを書いてます。
我が町海南市の歓楽街の歴史は戦前にまで遡りますが、最も好景気で湧いたのは戦後漆器屋がプラスチック漆器の大量生産を始めてからです。
おそらく西の新地もその頃からでしょうね♪
3枚目の写真は日方川通りですが地元民は八軒長屋と呼んでます、梟丸が有るとこは六軒長屋。
かき惣の営業は確か10月くらいから3月末まで、スタンド割烹扇やさんは超お薦め店で値段は高いけど料理の質の高さはジモターの保証付き!
元禄の蕎麦屋も閉店してしまいました(^_^;)
しかし東の新地まで探検されたとは驚きです、あちらはもっぱら身を売る商売がメインでしたから赤線などとも呼ばれてましたね。
西の新地は分かりやすい番地で、194・195・185・186がほとんどで端番無しなんです。
郵便配達員の新人泣かせなんです(^_^;)
ブログ登録させて頂きました♪
モノノフ様
コメントありがとうございます。
なるほど、色街は漆器と関連があったのですね!
しかしさすがに地元の方は知識がすごい・・色々知らないことが聞けて大変ありがたいですm(__)m
東の新地は私が行った時点でもう名残は皆無でしたので、せめてあと5年ぐらい早ければ・・と悔しかったのを覚えてます。
久しぶりに記事を見返しましたが、もう5年も前なのか・・となったので、海南にはまたいつか足を運んでみたいですね。