児島半島の南東に位置する玉野市は、四国や瀬戸内の離島への船便が発着する要港、宇野港を擁する市だ。
この玉野市は、昭和15(1940)年に旧玉野町と旧日比町が合併して誕生した。
旧日比町。
歴史は古く、近世は風待ち、潮待ちの港として栄えた。
明治期には日比製煉所(現在の三井金属鉱業)が置かれ、まだ宇野港がなかった当時はこちらが要港だったそうだ。
そんな日比港にあったという遊郭跡を訪ね、付近を歩いてみた。
小さな入り江には、小型船が係留されていた。
凪いだ水面だけが、風待ちの港だった時代のよすがを微かに今に伝えていた。
栄枯盛衰を思う
古来より重要な航路であり、時間帯によって潮流が変化する瀬戸内海。
船運で栄えた港、日比のように風待ち・潮待ちで栄えた港が数え切れないほどあり、それは同時に多くの色街を生み出したことも意味する。
明治以降、日本が近代化へと舵を切る過程で舟運は淘汰され、鉄道が輸送の中心に変化していった。
それから100年以上もの歳月が流れ、港の景色もずいぶんと様変わりした。
多島美が紡ぎ出す長閑な景観と穏やかな気候が瀬戸内の象徴となり、賑わいも消えて久しい。
産業が生まれ、人が集い、まちが形成される。
人の営みが時代を作り、続いた分だけ歴史になる。
そして、それにもいつか終わりが来る。
その地で生きた人の数だけ人生がある。
町並みも文化も、先人が残したかけがえのない宝物のようなものだ。
この“廓”もまた、必要とされたからこの場所に生まれ、多くの人の人生の一部となり、そして役目を終えた。
ただそれだけの話である。
十六軒七十四人という規模だったと言う日比港遊郭。
あろうことか、目抜き通りを歩き損ねたことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。
そんなこともある。
これもひとつの結果。
ただそれだけの話である。
[訪問日:2019年6月29日]
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