京街道沿いの色街。京都 橋本遊郭跡を歩く

京都府
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引き続き、時折歴史を交えながら橋本遊郭跡の町並みを見ていきたい。

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淀川べりの京街道沿いに立ち並んだ妓楼たちは、赤線の灯が消えて60年近くが経とうとしている今なおまるで現役のような威容をたたえながら静かに余生を送っていた。

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豪華絢爛な透かし彫りを持つ建物。細部まで目を凝らすとその芸の細かさに感嘆の声が漏れる。

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こちらのお宅は階下がガレージに改装されているようだ。
さすがに広すぎて人が住むにはいささかオーバースペックだったのだろうか。これぞ空間の有効活用である。

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妓楼が今でも残る遊郭跡と言っても、あっても残り2~3軒とか、それも荒れ果てて朽ち果てる寸前なのが定番だったりするものだが、その現実を思うとここまでキレイに残っているのは奇跡を通り越してもはや曲芸とも言える。

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もちろん、主がいなくなったのか放置されている建物や既に空き地になってしまった場所もあるにはある。
それでも、これだけの狭い地域に奇跡のような町並みが残るのは、筆者のような好事家寄りのレトロ好きなどはひとまず差し置いて、建築関係者諸氏にこそ絶賛されて然るべき事実であろうと思うのだ。

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その性格からして町並み保存地区に指定されるなどということはまずあり得ないだろうが、基本的には住人にとって歴史ごと闇に葬りたいと願う対象であるはず。

なのに目の前に広がる風景は、恣意的に今の姿を保とうとする意志が働いているようであった。この矛盾は一体どこから来るのであろうか。

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橋本湯

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そんな小難しいことを考えているうちに、メインストリートは廓の南端に至った。
そこには橋本湯という銭湯が今なお商いを続けている。当時の生き証人で、内部は遊郭建築の特徴が随所に刻まれている情趣に富んだ建物である。

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銭湯、温泉好きの筆者としては喉から手が出るほど入りたい湯であるわけだが、行程の都合でそれも叶わず。そもそもまだ開店前なのでさすがに諦めもついた。

※橋本湯さんは2015年9月に廃業しました

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ビューティーサロンに転業した妓楼。バイクと妓楼の組み合わせはこうして見ると実に絵になる。

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防火用水用の水槽も実に風雅である。こちらの妓楼は『榮楼』という屋号であったようだ。

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メインストリートの北側を望む。今立っている場所こそがかつての京街道。
普通は街道筋に遊郭ができるなんてことはまずない。一本や二本外れたところにできるのが常であるが、橋本の場合は地形的な問題でこうなったそうだ。

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これまでみてきた廓の南側は「橋本小金川」という。
対して北側は「橋本中ノ町」。
次頁ではこの中ノ町を見て行きたい。

(3ページ目へ続く)

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