江戸時代からの宿場町だった名残と、高度経済成長期に栄えた昭和の名残が残る飛騨金山。
今度は駅前商店街の北側、飛騨街道の反対側へ向かってみよう。
コチラ側は商店街っぽい感じになっており、そんなに古そうな建物は見当たらない。ただ一軒だけを除けば。
奥飛騨酒造(旧高木酒造)。
創業1720年という歴史ある酒蔵。あぁ、ちょうど今年で300年ですね。
おめでとうございます。
その先で一本西側の細い路地へ移動し、来た方向へ戻ると・・
そこには遊里の痕跡があった
ガイドのおっちゃんに教えてもらった遺構が目の前に現れた。
ベンガラ調の壁に丸窓を設えた、いかにも元遊郭です、と言った建物だった。
街道から一本外れた場所にひっそりと立っていることもまた、信憑性を裏付けるに足る事実ではなかろうか。
それにしても素晴らしい意匠である。
この一軒しかなかったが、かつては2~3軒ぐらいあったのかもしれない。
何にせよ、地元の人に教えてもらわなければこれを見たところで遊郭には結びつかなかっであろう。
ガイドのおっちゃんには本当に感謝である。
今度は駅方面へと向かう。
カフェー建築のような理容店が立っていた。
コチラも気になる意匠である。
面白い建物が多いな…。
そしてもうすぐ金山橋と言うところで…
ヤツが現れた。
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!
白状しよう。
飛騨金山に行った真の目的は、街道沿いの町並みでも筋骨でもなかった。
何を隠そう、この建物である。
この強烈な建物は一体何なのか。
答えは、やはりガイドのおっちゃんが握っていた。
おっちゃんに聞いた話を以下にまとめよう。
- この建物は遊技場
- 麻雀とかビリヤードができた
- 福寿美さんが建てた
はじめ、飛騨金山に遊郭があったらしいと言う情報に惑わされてこれがそうだとばかり思っていた。
おっちゃんの話を聞いてすべてがストンと腑に落ちた。
だって、旅館福寿美と外観がよく似てるもの。。
うっすら、「POLAささゆり営業所」と読める。
POLAが入居した時期があったのだろうか。
しかし驚くのはまだ早い。
映画館(金山劇場)やパチンコ、ビリヤード、スマートボールなど大抵の娯楽は揃っていた金山のまちに、
実はキャバレーがあったと言うのだ。
金山橋。飛騨金山駅はここを渡った先にある。
「夢の国」と言う名だったそのキャバレーは、駅を出て、この川を渡ったところにあった。
電車でこのまちにやって来た好事家は、川向こうで瞬くネオンが煌めく川面を眺め、心躍らせながら橋を渡ったことであろう。
聞くと、はるばる名古屋から遊びに来る粋人もいたほどだったそうだ。
そんな夢のような場所が、確かにこのまちにはあった。
今ではただの駐車場でしかないこの場所が、キャバレー「夢の国」の跡である。
遊技場を建てた福寿美さんは、このまちに色街をつくろうと目論んでいたのだそうだ。
商店街は飲み屋だらけ。
さらに遊技場やキャバレーまであれば、例えば私娼が跋扈していたとしても何ら不思議ではない。
まさに一大遊興地である。
こんな飛騨地方の山間部に、そんな桃源郷のようなまちがあったのだ。
旧街道、路地裏、そして遊郭。
色んな表情を持った飛騨金山は、最高に散策し甲斐のあるまちだった。
特に筋骨は、まち歩き、路地歩きが好きな人であれば虜になることは間違いないと思う。
是非現地に行っていただきたいので・・
最後に筋骨めぐりを動画で紹介して締めることにしよう。
[訪問日:2019年9月16日]
コメント
素晴らしい…素晴らしすぎます…こんな素晴らしい場所があったとは
遺構といい好きなモノをギュッと凝縮したような場所です
カメラをぶら下げながら散歩したいですな~
私もここは久しぶりに鳥肌が立つぐらいの衝撃でした!
是非現地で歩いて感動を味わってください!