梅園天神の横に、もうひとつ遊郭と関係の深い史跡が残っている。
中の茶屋
寄合町にあった遊女屋「中の筑後屋」が江戸中期に建てた茶屋で、それゆえ『中の茶屋』と呼ばれている。
丸山の茶屋の中でもいわゆる人気店で、文人墨客が足繁く訪れたそうだ。
昭和46(1971)年に近所の火災で類焼してしまい庭園だけになってしまったのを、51年に新築復元。
建物は40年ちょっとなので新しいけど庭園は紛れもなく江戸中期につくられたオリジナルで、史跡としてはかなり貴重なので是非行くべし。
寄合町
最後は寄合町。
ここに遊郭ができてすぐに勧請されたらしい玉泉神社。
寄合町の守護神として多くの人達に崇敬されて来たそうな。
寄合町と言えばこちらの『三島屋』。
本来の役目を終えたあとはアパートとして余生を送ってたらしいけど、どう見ても廃屋っぽかった。
なぜかドアが少し開いてたので中をチラ見してきたけど玄関は割と普通の意匠だった。。
開いてたってことは管理してる人が出入りしているのか・・まさか住人がいるのかな。
ただ、今後どうなるかまったく読めない感じはあるのでお早めに。
※残念ながら三島屋はその後解体されました
寄合町は南北に一本筋が伸びているだけの遊郭で、往時はこの両側に妓楼が立ってたんだろうと思う。
ご覧の通り今はほとんど普通の住宅街。
そんな中、もう一軒赤線時代のものと思われる素晴らしい遺構が残っている。
こっちは住人がいるような雰囲気だった。
寄合町に残ってるのはこの二軒だけ。
史跡料亭花月
検番の通りに、「花月」と言う現役の料亭がある。
寛永19(1642)年、要するに丸山遊郭ができた年に開業した遊女屋「引田屋(ひけたや)」の庭園にあった茶屋が発祥で、今年で実に創業378年と言う凄まじい歴史を誇るスーパー老舗料亭である。
昭和35年には県の史跡に指定された建物で、全国でも珍しい「史跡料亭」と言うスタイルで営業している。
ご当地グルメの卓袱料理、懐石料理など一人15,000円から楽しめるとのことでそれぐらいなら全然惜しくないと思えるほど入ってみたい料亭なんだけど、残念ながらここ
一人での予約を受け付けていないとのこと。。
格式高けぇ。。
同行者を募るとこから始めないと。。
門までは行ったけど、ここから先は予約した者しか足を踏み入れてはいけない聖域・・
ぐぬ。くそう。
横の駐車場から建物に接近してみたんだけど、この石垣、もしかして江戸時代のものじゃ?
建物はいつなんだろね。さすがに378年前のものには見えないけど。
昭和18(1943)年の火災で焼けた寄合町の一角が現在「丸山公園」になっていて、そこの案内板に江戸後期の丸山の様子が描かれている。
上のほうに見えるのが引田屋(花月楼)。ってことは中央~右側にある大店が今の丸山公園かな?
日本三大遊郭とまで言われた長崎の丸山遊郭(花街)。
日本で唯一、阿蘭陀人や唐人と交流ができた花街であり、丸山の遊女たちなくして長崎の発展はあり得なかったとまで言われる公許の遊郭。
400年近い歴史の重さを感じながらのまち歩きは、得難い体験となって自分の中に残った。
次に長崎に行くときは・・
待ってろよ、花月。
[訪問日:2019年10月12日]
コメント
料亭青柳の社長、山口広助さんが地元アイドル?チンドンのリーダーと、長崎県のレアな場所を散策する「ヒロスケの長崎歴史散歩」の最新シリーズが、先日から放送されています。J:COMの旅チャンネルで。番組の冒頭に「鳥居の前」の素敵な建物もチラリと出ます。以前からこの建物はどこにあるのか気になっていたので、分かって良かったです。この番組、チンドンも知らなかったことばかり出てきて、ヒロスケさんて本当にすごいです。ロシア人と交流が深かった「レストランボルガのお栄さん」に、最近興味を持ちました。
>街歩きの達人山口広助が、地層のように積み重なった長崎の歴史を紐解く散策番組.
なかなか面白そうですね!
鳥居の前は説明ないとどこかわかんないですよね・・お役に立ててよかったです^^
『濹東綺譚』読了後、「玉の井」の地名ででこちらのブログに辿り着き、楽しく拝読しております。
以前、寄合町にアパートを借りて暮らしていたのですが、その頃は寄合町本通りに「山頭温泉」という銭湯がありました。「山の頭」ですね。2016年に解体されたそうです。
いつもありがとうございます。
はい、銭湯があったことは丸山に行く前から知ってましたが、「山頭」という名でしたか。まさに遊郭の名残りですね。
濹東綺譚を読まれたのであれば、是非滝田ゆうの『寺島町奇譚』も読んでみてください。