そうそう、「ならまちさんぽ」などとどこかリア充じみたタイトルで書いてはいるものの、実際は夏の盛り、暑さにやられ苦行とも言える厳しい散策であった。
庚申堂
さて、ならまちの見所のひとつ、庚申堂である。
庚申さんは実の名を『青面(しょうめん)金剛』と言うらしい。なんていかつい名前なんだ。
で、この涼しい顔でベンチプレスしてるお猿さんがおそらく身代わり申なんでしょう。
「俺がおまえの重荷を引き受けるぜブラザー」って顔してますね。頼もしい限りです。
おっと。もう一匹いましたね。
庚申信仰とは、人の体内には3種の悪い虫(三尸という)が棲む。60日おきの庚申の日には、眠っている間にその虫が体から抜け出し天帝に善悪を告げに行く。
天帝の罰を受けることになるかもしれない。
そこで庚申の日には眠らないこと、災いから逃れるために日々善行に励みましょう、とすごいざっくり書くとこういう信仰であったようだ。
寝落ちしたら負け。これぞ本物の苦行と言える。
庚申堂、実はこんなに小さかったので割と拍子抜けしてしまった。
庚申信仰は、道教の「三尸説」が元となって他にも仏教やら神道やら色々アレンジされて出来上がったようである。全部乗せラーメンみたいなお得感が民衆にウケたのだろうか。
引き続きならまちを南へとずんずん進んで行く。
どこまで行っても風情満天の路地が続いている。
次なる見所がこちらの『ならまち格子の家』。
さっきの庚申堂もそうであったが、ならまち八景なるものに選ばれている。
ならまちの伝統的な町家を再現し、内部は無料で開放されている。
これがタダとはずいぶん太っ腹だこと。
階段が部屋の中にあって、ぱっと見天井裏にでも続くかのような趣き。さらに内部が物入れになっている。面白いねこれ。「箱階段」と言うみたい。
そしてこんな素敵な中庭が。
風流とか雅とかそんな言葉が浮かんだ。
格子は外から中は見えにくく、中から外はよく見えるとどこかで聞いたことがあったが、これを見て納得。
目の位置というか距離の問題なんでしょうが非常に合理的。
二階はこんな感じ。思った以上に広い。
正確には厨子(つし)二階と言い、現代風に言えば中二階。
江戸時代から明治時代の町家に見られ、居住空間ではなく物置のような用途であったと言う。先ほどの外観の写真を見れば、二階が異常なほどに小さいのがよくわかると思う。
だから正直こんな広いとは思わなかったのでビックリした。
ならまちの町家は、間口が狭く奥行きが長いという特徴があり、それゆえ「うなぎの寝床」などとも呼ばれているが、こうして階下を見下ろすとそれがよくわかる。写真は奥に向かって撮っている。
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