引き続きならまちの町並みを見て行く。
ならまち振興館。大正初期に建てられた建物で、平成7年に市が改修したもの。
今年の11月には、「奈良町南観光案内所」としてリニューアルオープンすることが発表されている。
ならまちの空き家問題
1頁目で少し触れたが、現在ならまちは空き家問題が深刻で、「町家バンク」を実施しているものの状況はあまり芳しくない。
うなぎの寝床な家屋の構造、隣家と接している点、車に不便な細い路地、そしていくらかかるか分からない修繕費用。優に1千万円は超えると言われている。
また、古く閉鎖的なまち特有のよそ者への警戒感や、先祖代々の家を手放すことへの抵抗も逆風となっている。江戸~明治から続くまちとあればそれは無理もない話である。
とは言え、住宅には確実に『寿命』が存在する。
法外な修繕費を払うくらいなら、いっそ壊して景観に調和する町家風の家屋を建てればいいのでは、と個人的には思ったりもする。
アパートやマンションにするには勿体ない町並みだし、費用がかさむ延命は家主、家屋の共倒れを招く恐れがあるからだ。
さて、最後にならまちの発祥となった元興寺を見てみたい。
拝観料は大人500円。
「古都奈良の文化財」の名称で1998年、世界文化遺産に登録されている。
構成遺産は東大寺、興福寺、春日大社、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡、春日山原始林、そしてこの元興寺となる。
本堂。
往時は南北440m東西220mという巨大な寺院であったが、徐々に衰退して境内の大部分が住宅街、つまり現在のならまちになったことは先述したとおりである。
よくガイドブックなどでも見かけるこの構図。本堂の瓦であるが、行基葺(ぎょうきぶき)と呼ばれるこの瓦、一部飛鳥時代当時のものが使われているというから驚きを隠せない。
もちろん、日本最古の瓦と言われている。
撮った角度が悪いのか、鬼瓦が天狗のような呆けた顔に見える件。まったく怖さが感じられない。
うーん。望遠レンズ持ってなかったからなぁ。APS-Cでテレ端50mmじゃこれが限界です。
衰退して小さくなってしまったという史実が、どこか哀愁のようなものを感じさせる元興寺。
東大寺や興福寺に比べれば訪れる人も少ないが、元興という名前は『日本で最初に仏法が興隆した寺院』の意味。
歴史的重みははるかに勝っているのだ。
筆者は、人が行かないところ、静かなところ、こじんまりしたところ、場末感に満ち溢れたところを好むきらいがあり、大の字がつく人混み嫌いなので、元興寺の雰囲気は肌にフィットして心地よかった。
皆さんもそんな元興寺へ是非お越しください。
おまけ画像。
奈良公園の前で、鹿が側溝にはまってて噴いた図。
ホントここの鹿たちはいつ見ても自由すぎて和む。
[訪問日:2014年7月20日]
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