四国にゆかりのない筆者は、どの県も旅で知り得たアバウトな土地勘しか持ち合わせていない。
要するに、さぬき市と言われてもいまいちピンとこないが、志度と言われれば「あぁ名前は知ってる」ってな具合である。
以志や旅館のある「志度」は、琴電志度線の終点のまちである。
志度線は知っていたので、沿線のまちなんだろうな、ぐらいの知識は辛うじてあった。
この志度には四国八十八ヶ所霊場、すなわち『お遍路』の第86番札所、志度寺がある。志度寺は創建が飛鳥時代と言われる古刹である。
遍路宿が立ち並ぶ、いわゆる門前町として栄えてきた歴史をもつまちだが、高松から伸びる志度街道沿いにあたり、港が近いからか江戸時代には高松藩の米蔵が置かれるなど他にも発展するための下地があった。
以志や旅館をチェックアウトしたあと、志度のまちなみをぶらぶらと歩いてみた。
旅館の前、この道が旧志度街道。
志度出身の有名人、平賀源内
日本史の教科書に登場する江戸時代の蘭学者、エレキテルの発明で有名な平賀源内は志度の出身。
生家が藩の蔵番をやっており、父の死後その職を継ぐも、約4年後に長崎へ留学。薬草の研究の他、オランダ語、医学などを学び、終生マルチに活躍したことはよく知られている。
志度寺から西へ約1kmの場所には平賀源内の旧邸が残っているが、少し離れていたのと雨がざーざー降ってて気持ちが折れかけてたのでやめてしまった。
余談だが、旬菜料理以志やの看板メニューは「源内御膳」(天ぷら定食)と言う。
源内の名はいたるところで見かける。今でも郷土の偉人として広く認知されている証だろう。
街道筋には、ところどころ古い建物が残っている。
志度寺は街道から眺めただけ。五重塔があるようだ。
高密度ではないが、江戸時代でもおかしくないような町家がちょこちょこ残ってて歴史を感じさせる。
以志や旅館と同じく、その多くが平入り×切妻造×厨子二階×虫籠窓スタイルである。
手を加えてやや現代風にアレンジされたものも。
二層うだつが上がる最高に重厚な町家まで。
平賀源内旧邸の他に記念館もある。休業日だった。
廃業した旅館。
右側に見えるのは図書館。
先の予定もあるし、これ以上は気が乗らなかったのでこの少し先で引き返すことにした。
図書館の横にはお遍路さん向けの休憩所が併設されていた。
なんとも四国らしい一コマ。
そう言えば、以前コンビニの駐車場でもこんな感じの休憩所を見たなぁ。
どこだったかな、あれは。
こんな家に住みたいんだよなぁ。
どこかに状態のいい物件が格安で売られてないかな・・笑
うだつハウス、もう一軒あった。
腰壁がベンガラ調の現役接骨院。
あのー、特にフィジカルに問題はないんですが、ちょっと見学させていただけないでしょうか・・(懇願)
さらっと歩くことしかできなかったけど、志度は歴史の感じられる落ち着いた町並みだった。
[訪問日:2020年11月2日]
コメント
私の故郷。ただ、高校を卒業して以来だから、38年も帰っていない。随分と風景も変わってしまっているようだ。平賀源内記念館やお遍路さんの休憩施設なんかは存在しなかったな・・・もう帰る家もないけれど久しぶりに行ってみようかな志度まで・・・