黒崎は、江戸時代には長崎街道の宿場として栄えたまちである。
長崎街道というのは小倉から長崎へいたる街道で、以前書いた塩田宿なんかも同街道の宿場にあたる。
明治以降、鉄道の開通や大型工場の開業で人口がわらわらと増え、急激に都市化への道を進み始めた。
昭和初期には駅前の開発が行われ、今の放射状街区の原型が出来上がった。
戦後もその流れは止まらず、人が増えるとともに商店街も拡大して行き、結果としてこんな巨大なアーケードが出来上がったのだそうだ。
兵どもが夢の跡
戦後、製鉄特需でのし上がった北九州。
まちは労働者で溢れ、「鉄」が無数の人の暮らしや地域を潤した。
確かにそんな時代があった。
だが、今ではその面影はない。
北九州だけではないが、国内の鉄の生産量は全盛期と比較すると大きく落ち込んでいる。
それに引きずられるように、近年の北九州市は人口減少数で全国ワーストを記録し続けている。
特需で急激に成長した黒崎などはその最たる例と言えるだろう。
駅前の百貨店、「井筒屋」が2020年に62年の歴史に終止符を打ち閉店。(井筒屋ではなくビル会社の経営破綻が原因となっているが、実際業績はかなり悪かったらしい)
筆者はこの1年前にも黒崎を訪れており、駅の近くにある黒崎城跡でなぜか地元のおじさんと世間話をする機会があった。
おじさんは、市街地を見つめながら衰退が止まらない地元に対する嘆き節を滔々と吐き続け、横にいる旅人はふんふんと相槌を打ちながら話を聞いていた。
そのときはあまりピンと来なかったが、1年後にこうして黒崎を歩いたことでおじさんの嘆きが現実問題としてよく理解できた。
確かにまちに元気がないように感じた。
この「くまで通り」が、実は旧長崎街道だったりする。
かつて隆盛を誇った宿場町の現在地としては少々寂しさを感じてしまう。
かつて多くの人馬が行き交った通りを、チャリンコにまたがったおっさんが疾走していた。
しかしこのアーケードは渋くていい雰囲気をしている。
麻生市場の裏側はシャッターが降りていた。
それにしても横丁然とした小さなアーケードが多い。
そんな中、ちょっと変わった『寿通り』。
急に柔らかいテイストになった。
通り全体で同じ世界感を共有しているのだろう。
ポップで明るい感じはインスタ映え必至である。
無彩色に近い無骨なシャッターと比べれば、案外悪くないかもしれない。
どこをどう歩いたかさっぱり覚えてないけど、とりあえずカムズ商店街に戻ってきたようだ。
カムズ商店街、栄町通り、寿通りが織りなす五叉路が最高だった。
ひとしきり歩いたのでそろそろ引き上げよう。
歩き始めてからいつの間にか1時間が経っていた。
黒崎。
昔からの店に入って一杯やりながら、店主から栄えてた時代の話を聞いてみたりしたいと思えるようなまちだった。
北九州は奥が深い。
何度も足を運ばないと理解できそうにない…そんな印象だけが残った。
[訪問日:2020年1月2日]
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