佐賀県の南西部にある嬉野市。
何はともあれ、巷では温泉とお茶で知られるまちである。
この嬉野には江戸時代、長崎街道の宿場として嬉野宿と塩田宿が置かれた。
栄えた時代の名残を今に残す、その塩田の町並みを歩いてみた。
嬉野市塩田町は、お隣鹿島市にほど近い塩田川河口近くに位置する。
通称を『塩田津』と言い、2005年には「商家町」として伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に選定された。
ふたつの顔、塩田津&塩田宿
歴史が好きな方であればご存知であろう、漢字の「津」は船着き場や港を意味する。
すなわち、『塩田津』の呼び名は塩田川の川港だったことに由来する。
塩田川の水運は有明海の干満差を利用し、満ち潮は上流へ、引き潮は下流へと船が行き来した。
自然と物資の集散地となった塩田津は、長崎街道の宿場町とふたつの顔を持つことで大いに栄えた。
かつての長崎街道だった通り沿いには、今も約400mに渡って白壁の町家が多く残り、商家町として賑わった頃の空気感を今に伝えている。
ここの町家はとにかくでかい。
これは、江戸後期に建てられた「居蔵家(いぐらや)」と呼ばれる火災や風水害に強い漆喰造りのもので、大火や自然災害に泣かされた先人の知恵の結晶とも言える。
伝建地区になってからの塩田津は建物の修繕、町並みの修景に力を入れているようでそれは歩いてみたらよくわかった。
建物も通りも本当にきれいなのである。
かつて高札場があった「札の辻」で旧街道は直角に折れる。
旧街道と言うと往々にして道幅が狭い。しかしながら、塩田津の通りは明らかに無駄を通り越して広い。
実は明治時代、軽便鉄道の線路を敷設するために家々を後ろに下げ、道を拡張したのだとか。
さらに大正4年にはなんと県下では初となる電車が嬉野~塩田に敷かれたという歴史があり、いかに当時塩田が商業・経済の中心であったかを物語る話となっている。
ふぅ・・それにしてもでかい。
そして江戸時代の建物とは思えないぐらい見た目がきれい。
でも、こんなに立派な町並みでお盆休みだったにも関わらず観光客がほとんどいなかった。これが悲しかった。
こういうとき、伝建地区もある意味“格差社会”の縮図だよなぁと思ってしまう。
歴史を知ることや街歩きの楽しさをもっと多くの人が知って、実際に現地に足を運んでくれたらいいなぁ、なんて常々思ってるんですけどね。
ちょっとは役に立ててるんかな・・
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