若松「連歌町遊郭跡」と“或る場所”の今

この記事は約2分で読めます。

前回の記事で、若松が筑豊炭田で産出した石炭の積出港として栄えた歴史を持つと言う話をした。

あり余るノスタルジー。北九州・若松区「大正町商店街」
国内有数の炭鉱だった筑豊炭田。産出した石炭の積出港として発展したのが北九州の若松港である。明治24年に直方~若松間に鉄道が開通し、以後、石炭の積み出しで多くの労働者たちが集まり、まちも急速に栄えてい...

となると、そこには遊郭もあったと容易に察しがつく。
明治時代に成立した『連歌町遊郭』である。

実はこの旧連歌町。
大正町商店街のすぐそばで見かけた「大黒市場」と「共栄市場」のある通りがその場所。(正面左手のテントが市場)

ただこの通り、今ではもう名残なんてものはない。その代わりに路地裏に入ると色街の名残りと思われる建物が散見している。

西側の入口

事前調査でその辺の情報は掴んでいたので、とりあえずそこへ向かう。

電柱には「連歌町」の文字

おなじみ『全国遊廓案内』によれば、連歌町遊郭が許可されたのは明治34年6月のこと。

明治24年に鉄道が開通したことで急速に発展し、「石炭の町」として全国にその名を知られることになった若松。時系列だけ見てもとても分かりやすい生い立ちと言える。

非常にそそられる建物が密集するエリアに足を踏み入れた。

イマイチ真偽が掴めないが、“妖しい匂いのする一角”であることは確かだった。

昔赤線でしたと言われて、少なくとも否定しなければいけないようなことはなさそうだ。
そういう類の路地だと思う。

古い建物が多いので、そう言う前提を抜きにしても純粋に歩くだけで楽しめる。
そんなことを思っていたら、一軒だけこれぞ!というのが出てきた。

これぞ!

カフエー風味・・
なかなか味わい深い路地だった。ここは一旦こんなもんにしとこう。

スポンサーリンク

料亭金鍋

明治~大正にかけて、若松には100軒を超えるほどの料亭があって今で言う一大歓楽街として賑わっていた。

その代表格が明治28(1895)年に創業、その姿を今に伝える『料亭金鍋』である。

登録有形文化財にもなっている現役バリバリの料亭。いつか食事しに行きたいけど、公式サイト見たら2名~。
またか・・。
丸山の料亭花月と同じパターン。。

金鍋には料亭の鑑札。
福岡ってそんなに残ってない印象で、筆者が見つけたのは後にも先にもここだけ。

まぁ、そんなにたくさんの街を歩いてないだろ、って言われれば何も言い返せないけど…。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. 若松出身者 より:

    お久しぶりです。若松の特集ありがとうございます。私自身は、コロナコロナでこの2年近く行けてません。まあ、行っても親戚の家に集まっているだけで、街中散策するようなこともないんですけどね。
    火野葦平、知ってる人少ないんでしょうねぇ〜。読んでみたら面白いんですけどね。金鍋に入ったら、火野葦平がよく原稿を書いていた『葦平の間』というのがあります。金鍋内部は本当に大正ロマン!料理の味も素晴らしいので、是非今度は入ってみられて下さいませ。

    • mast-mo より:

      ご無沙汰しております~。
      まぁ、私も行ったのはコロナ禍以前で今頃かよ…って感じではありますが・・。
      金鍋、素晴らしそうですね!
      是非生きてるうちに一度は入ってみたいものです^^

タイトルとURLをコピーしました