コバルトブルーの海と宝石を散りばめたような白亜の街並み。
一生に一度は行きたい!
世界中のセレブ達から羨望の眼差しを向けられるギリシャのエーゲ海。
残念ながら、安心して海外旅行ができる日が来るまでまだ数年はかかるだろう。
でも・・安心してほしい。
大枚はたいてヨーロッパまで行かなくても大丈夫。実は“エーゲ海”は日本にもある。
日本のエーゲ海
岡山県瀬戸内市牛窓町。
自らを“日本のエーゲ海”とPRするそのまちは
- 島が多い
- 温暖少雨の瀬戸内式気候
- オリーブを栽培したりしている
など本家に似た特徴を備え、さらには沿岸に白壁のホテルを建てるなどすっかり「エーゲ海感」を出しまくっていることで知られている。
そんな牛窓にリゾート気分を味わいに行ってきました!
・・なんて記事を書いたら今日限りでこのブログの管理人を更迭されることは避けられないだろう。
実は牛窓には、江戸時代の名残を持つ古い町並みが残っているのである。
その名を「しおまち唐琴(からこと)通り」と言う。
まさにエーゲ海っぽい雰囲気の海遊文化館から散策を開始した。
この擬洋風建築は明治20年に建てられた元警察署で、現在は資料館になっている。
なお、登録有形文化財でもある。
しおまち唐琴通りは海岸線に沿うように続く1kmちょっとの通り。
道幅が江戸時代のままなのでクルマで走るのは普通にオススメできない。
どれぐらいかと言うと、少なくとも対向車が来たらいちいち「ガッデム!」と叫びたくなるぐらいには難易度が高い。
牛窓は、港町としては室町時代から続く長い歴史がある。古くから風待ち・潮待ちの港として栄えたのである。
江戸時代には参勤交代の大名や北前船の寄港地となった他、朝鮮通信使も立ち寄った歴史がある。
その際、こちらの「本蓮寺」が接待所となった。
室町時代建立の古刹。三重塔が美しい。
境内からは瀬戸内海が一望できる。
昭和初期に建てられた旧牛窓郵便局。
現在は喫茶店「牛転」。
往時の雰囲気をとどめる町並みは西から関町、西町、本町、東町と続く。
全体的には江戸時代から昭和30年頃の面影を残している。
建物的にはこんな感じの白壁土蔵、格子戸など江戸期テイストがある一方、海遊文化館や旧牛窓郵便局のような洋風のものもあってバラエティに富んでいる。
雨が少なく大きな河川もない牛窓は、飲料水確保のために共同井戸が活用されてきた。
昔はここで水をくんで自宅に運ぶことが子どもたちに課せられた仕事であったそうだ。
古い町並みはよく残っている。
かつてそれほど栄えたこと、鉄道駅や幹線から遠く開発から取り残されたこと、がその理由だろう。
同じく朝鮮通信使が立ち寄った下津井とは、地理的にも歴史的にも類似点が多い。
牛窓まちかど交流プラザ 風まち亭
明治時代に建てられた武家屋敷構えの岡崎家・長屋門。
江戸期からの材木商で、木造船の船材などを扱っていた。
色街の名残
かつて「牛窓千軒」と呼ばれるほど賑わった港町。
当然のように遊郭もあった。
それは関町の東側、牛窓天神社の門前にあたる場所にあったそうだ。
今、その場所に行くと役目を終えた木造三階建てが建っている。
「旅館 仕出し・料理・薪炭 川源」
入口にはそう書いてあった。
妓楼ではなく。料理旅館のような感じだったのだろう。
牛窓は坂口安吾原作の「カンゾー先生(1998年公開)」のロケ地になっているそうで、今は亡き遊郭の建物が作中に出てくるらしい。(この料理旅館も出ているそうだ)
今度観てみようかな。
脇に伸びる路地も艶っぽくてよい。
斜向いにも、見るも無残な崩壊寸前の木造三階建て。
色街の関連物件だろうか。
せっかくだから牛窓天神社まで上がってみよう。
右手に見えるのが上の建物。
階段が長すぎる・・このへんで妥協しとこうw
なお、上まで行くと展望台があって瀬戸内海が一望できる。
しかも、夕陽百選に選ばれていると言う。さぞ美しいことだろう。
牛窓には天保元年(1830年)創業の造り酒屋、「高祖(こうそ)酒造」がある。
現在は西へ2kmほどの場所に移動しているが、創業の地として当時の酒蔵が残っている。
酒蔵が天保年間、母屋が明治20年代の建築と書いてある。
蔵は登録有形文化財にもなっている。
土蔵(左側)は二階建て、白漆喰の海鼠壁である。
修繕されているようでもうすぐ200年という感じはまったくしない。
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