創業300年。海の京都、宮津に佇む文人墨客の宿「清輝楼」を訪ねる

京都府
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股のぞきで有名な日本三景、「天橋立」がある京都の宮津市は古くから城下町、また、港町として栄えてきたまちである。

この宮津は、以前花街(遊郭)だった新浜地区を訪ねたことがあるが、伝統的な町並み、建物がよく残っていていつか泊まりたいと思っていた旅館が二軒あった。
そのうちの片方が、創業元禄年間と言われる『清輝楼』である。

宮津までは100kmちょっととドライブには最適な距離。
道中、満開の桜を飽きるほど堪能して胃もたれになりかけた頃、清輝楼に到着した。

清輝楼の建物は、国道に面した場所で明らかに異質な存在感を放っていた。
さすがは登録有形文化財の宿だ…

ここでちょっとこぼれ話を。

『登録有形文化財』ってよくわからんけどなんかすごそうな印象を受けるじゃないですか?
このプレートがついてると無条件で「ははぁ…」ってひれ伏したくなるようななんかそんな魔力がある。

 

けど、実はですね

 

これ、国(文化庁)のほうから登録を打診してくるわけではなく、あくまで自己申告制なんです。
なので、オーナーがこの制度を知らなかったり面倒だからって申請しないとか、おそらく世の中にはそういう素晴らしい建物がごまんとあるわけですよ。

登録されると箔が付いて心理的な資産価値が上がるゆえに、ありえないぐらい強気な料金設定をしている(それ狙いで登録したと思われる)ホテルや旅館もたまに見かける。

そういう側面もあるので、過剰に傾倒せずに「登録されてようがされてなかろうが素晴らしい建物は素晴らしい!」のスタンスで臨むのがよいんでないかと。

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文人墨客の宿

というわけでチェックイン。
女将さんに応対して頂き、早速館内を案内してもらうことにした。

玄関左手の掛け時計。ものすごく古そうだがちゃんと時を刻んでいた。

清輝楼は創業300年を超える超老舗旅館。
ロビーにある古地図は、大正末期~昭和にかけての旅館パンフレットの原画である。

当時流行した鳥瞰図に、清輝楼の名と、、なんと!天橋立のほうに別館もあったそうだ。

市街地に着目すると、新浜地区にしっかりと「宮津遊廓」の文字が見て取れる。
立地的に近いのでまさかと思って尋ねてみたが、清輝楼と遊郭に歴史的な関連はないそうだ。

二階の大広間から宮津湾を望む

旅館の裏手には公園があり、その向こうに海が見える。
京都で国体があったときに埋め立てて公園をつくったのだそうだ。つまり、昔は清輝楼の庭先がもう海だったと教えてもらった。

清輝楼の庭

窓からぼんやりと海を眺め、潮騒の子守唄を聴きながら眠りにつく。

なるほど、数々の文人墨客がこの宿を訪ねた理由がよくわかる。

『文人墨客の宿』と謳う清輝楼には、数多くの著名人が訪れている。

そのうち、最も多く滞在したのが童謡詩人の野口雨情
ロビーの先が文人たちの書画を展示した「文人の間」となっており、そこに雨情のコーナーがある。

「七つの子」「しゃぼんだま」などで知られる野口雨情は、おもに大正~昭和初期に活躍。
清輝楼には大正時代に二期間、昭和に入ってから一期間滞在したそうだ。

雨情の作品

他にも菊池寛とか吉田茂とか名だたる人物が訪れているのでじっくりと堪能してほしい。

この文人の間をはじめ、館内を「小さなちいさな美術館」と名付けて一般公開している模様。
どうもここに関しては宿泊せずとも見学できるようなので興味のある方はどうぞ。(未確認なので断られたらごめんなさい)

 

泊まった部屋

冒頭で桜が満開の頃と言ったが、清輝楼に泊まったのは昨年4月のこと。

例年、インバウンド需要で満室になる時期、あろうことかこの日は筆者のみ。まさかの貸切だった。
ちょうど一回目の緊急事態宣言が発令される直前で、人々がコロナ禍に対して本気で危機感を感じ始めていた頃だった。

同時に旅行業界の悲鳴があちこちから聞こえ始めていた時期でもあり、さすがに悩んだが自分の信念を貫いて旅を決行した。

広縁からは庭が見える

まさかここまで酷い状況だとは思ってもいなかったので、このときばかりはやはり決行してよかったと思った。

あれから一年以上が経つが、盤石だと思われた老舗旅館でさえコロナ倒産した事例が何件あっただろうか。
思い出すだけで哀しくなるよな。

(2ページ目へ続く)

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