ここまで見てきて、ぶらくり丁商店街の大まかなイメージが掴めたと思う。
“和歌山市の中心部にある、繁華街と歓楽街の機能を兼ね備えた昔ながらの商店街”ってところだろう。
北ぶらくり丁
最後が「北ぶらくり丁」。ぶらくり丁の北側に並行するアーケードである。
さて、これほどまでに巨大なぶらくり丁商店街であるが、なんと起源は江戸時代。
天保元年に大火が発生し、その後商人が集まって商店街が形成されたそうだ。
元々は城下町として発展してきた地区ではあるものの、明治時代には全国的にもかなり早く市制が敷かれ、和歌山市は人口も増加し大規模な繁華街として賑わったそうな。
百貨店や映画館が複数あるほどの繁栄っぷりで、昭和40年代までは今ではあり得ないほど繁盛していたらしい。(この辺の話はWikipediaに書いてあるので興味のある方はどうぞ)
このあたりまでは「へ~、すげ~」とか「そんな時代もあったんだなぁ」とか微笑ましい気持ちで眺めていたが、昭和の終わり頃からの出来事を読み始めると状況は一変する。
かいつまんで説明すると、中心部にあった和歌山大学が移転、モータリゼーションの台頭で郊外店に客が流れる、百貨店が破綻&撤退、映画館も次々に廃業、量販店やチェーン店も軒並み閉店、、、
ダメだ・・読み進めていくうちにどんどん暗い気持ちになっていく。。
人が減り、店が減り、各駅からのアクセス難が仇となって人の流れをうまく作り出せず衰退に歯止めがかからない・・
ここ40年ぐらいの和歌山中心部を要約するとそういうことになるらしい。事態は思った以上に深刻そうだ。。
そう言えば、特にこの北ぶらくり丁ではずいぶんシャッターが降りた店も多かった気がする。
もちろん歩いてるときはそんなこと知らなかったので古いアーケードにテンション上がりっぱなしだったわけではあるが、今となっては逆にその部分を伝えて広く現状を知ってもらうべきなんじゃないか、、そんな風に考えが変わるほど衝撃的だった。
まぁ、和歌山に限らず地方都市はどこも似たような問題を抱えてると思うけど。
元寺町ストリート
ぶらくり丁は大体歩いたのでもう少し足を伸ばすことに。
北ぶらくり丁からほど近い場所にある「元寺町ストリート」。
近年個性的なお店が次々オープンしている激アツスポットだそうだ。
「元寺町」という地名なのか、元々ここに寺町があったのか由来についてはイマイチ判然としない。
まぁそんなことはどっちでもよい。
確かに個性的なセンスの店が多い。
どっちかと言うと、レトロではなくやや奇抜な感じなので人によっては面白くないかもしれない。
ただ、アーケードは味があっていいし全体的に独特な雰囲気があるので見ておいて損はないと思う。
元寺町ストリートは程よい長さで端から端まで300mぐらい。
飲み屋やゲストハウスもあるので、ここで一晩過ごすなんてのもアリのように思う。
だが、、本当に見てほしいのはこのアーケードではなく、通りの裏側である。
どうだろう、このさながら水上バラックのようなエモーショナルな風景。
これが元寺町ストリートの裏側なのである。
この日のまち歩きのハイライトは紛れもなくここであった。
はるばる高速ひた走って和歌山まで来た甲斐があったよ。
せっかくだから元寺町ストリートの反対側も見て行こう。
こっちもこっちでなかなかパンチの効いた建物が多い。
そりゃ裏側がアレだからせめてこれぐらいじゃないと困るわけなんだけど。
面白いエリアだった。ひとしきり歩いたのでそろそろお開きにしますか。
最後に雑賀橋付近の川端風景を。
耳をすませばかすかに嬌声が聴こえてくるんじゃないか。
そんなアホなことを考えながらぶらくり丁の散策を終えた。
[訪問日:2020年9月21日]
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