東京の葛飾区に『立石』という街がある。
下町の聖地だのB級グルメの聖地だの呑兵衛の聖地だのと崇められ、なんかもうあふれんばかりの巡礼者でごった返してそうなその街は、「THE・下町」と呼んで余りあるほどの渋い町並みを今なおとどめている。
そして下町好きの筆者が転居先の候補に挙げたこともあるそんな立石には、戦後にできた特飲街が駅前にあった。
そんなわけで夏の盛り、京成押上線の立石駅に降り立った。
駅前には、立石仲見世商店街というレトロ商店街があるのだが、この後予定が詰まっていたので華麗にスルー。ここはまたの機会にゆっくり訪れたい。
※後日訪問しました
駅前にあった赤線
特飲街跡は駅の北側の一角になるので踏切を渡る。
ちなみに特飲街とは「特殊飲食店街」の略で、つまるところ赤線のことである。
GHQにより公娼制度(遊郭)が崩壊した戦後、見た目を飲食店にし、娼妓は「女給」と名を変え風俗営業を黙認された店、地域のことを指す。
警察がこのエリアを地図上、赤く囲ったので俗に「赤線」と呼ばれるようになった。
踏切を渡ってすぐ左へ折れると、早速赤線時代の遺構が建っていた。
立石の赤線は被災した亀戸の業者の一部が移転してきて終戦直前の昭和20年6月にオープン。
真横から。やたらドアが多いのが赤線建築であることを示唆している。
戦後は政府からRAAの指定地にされ、進駐軍が出入りする街へ。しかし翌年、花柳病の蔓延でRAAは廃止され「オフリミッツ」となる。
とまぁ、このあたりの流れはどの指定地でも同じである。その後は1958年(昭和33年)の売防法完全施行まで営業し、現在ではこんな感じでかすかに色街の“残り香”が漂っている程度となっている。
そしてやたら猫が多かった件。
スナックや小料理屋が密集する繁華街に野良猫が多いのはお約束だけど、かわいいのでついついこうして立ち止まって撮ってしまう。
左側の建物も旧赤線物件。今では転業アパートになっている。
『赤線跡を歩く』に載っている写真とまったく同じ構図で一枚。
見比べてみると、壁は塗り直され玄関まわりもだいぶ手が加えられていた。
このあたり、売防法後も飲食店を装いながら密かに客を上げる青線的な店や業者が多かったそうである。
この「スナックつかさ」もおそらくその類であったことをこの柱が物語っていた。
一部塗装が剥げて、赤いタイル貼りの円柱が露見していた。
ほらこの通り・・
赤線跡を歩く人たちって絶対こういうの見逃さないよね(笑)
とっくに廃業してしまったようだが、激細の路地と赤線時代の遺構は昭和30年代の下町風景の名残を忠実に残している。見事としか言いようがない。
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