THE 大和の原風景。悠久の歴史を刻む我が国最古の官道「竹内街道」をゆく

奈良県
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日本最古の官道「竹内街道」の道筋を引き続き歩いて行こう。

この日歩いたのは約700mと竹内街道の一部に過ぎないが、竹内峠へ向け傾斜がつき始めるポイントであることや、旧道のまま残るエリアで古民家が多いことからも最も街道っぽさを味わえる場所ではないかと思う。

さて。特筆すべきエピソードの3つ目が、「大和棟」である。
大和地方を中心に見られる建築様式で、勾配の異なるふたつの屋根をガッチャンコした独特なスタイルである。

百聞は一見にしかず。まずはご覧いただこう。

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奈良のガラパゴス建築。大和棟

右側の家、その屋根をご覧いただきたい。

先ほどの説明の通り、急勾配の部分と普通勾配の部分が合わさっている。
トタンで覆われているが、本来の大和棟は急勾配のほうが茅葺き、緩いほうが瓦葺きとなっている。

まぁこれも見ての通りである。茅葺きにかぶせたトタン屋根は見ればすぐにわかる。

この大和棟、別名を「高塀造」と呼ぶそうで、いわゆる富裕農家の象徴だったそうだ。
豪農の家と言えばわかりやすいだろうか。

茅葺屋根の大和棟

大和棟の建物自体が今ではそもそも珍しい存在となっているが、竹内集落では茅葺屋根のものが奇跡的に現存している。

これはかなり貴重と言っていい。

大和棟の屋根はなぜこんな妙ちくりんな形状をしているのか。そこにはちゃんと理由がある。

奈良は盆地である。つまり、夏は死ぬほど暑く冬は恐ろしく寒い。
この寒暖差に対抗するために断熱性の高い茅葺きになり、さらに雨対策で急勾配になった。
急勾配のほうは浴室、緩いほうは土間やかまどと、屋根の性能に応じて下の空間の用途が分けられているそうだ。

なるほど、環境に適応した素晴らしいシステムである。

もうひとつ補足すると、奈良盆地は湿度が高いため、風が吹く方向を妻側に向けることで換気を行いやすくするのだそうだ。
白川郷でも同じような話があったが、自然と共生していた昔の人たちは建築様式をその土地土地の気候や性質に合わせて来たのである。

太陽の下で働き、季節を感じ、時に自然の猛威に振り回されながらも自然とともに生きていた時代のほうが、よほど人間らしい生き方だったのではなかろうか。

古い町並みに身を置き、古い建物を眺めているとときどきそういう現代との埋めようのないギャップを感じることがある。

どちらがいいとか悪いとかいう話ではないが、少なくとも筆者は昔の生活に強い憧れを抱いている。

古民家に住み、畑を耕し、晴耕雨読的な生活に身を置いてみたい。ただ、それだけじゃ現代ではなかなか食えないので、他にもいくつか金になるスキルがあればいい。

現代版の“百姓”と言った感じだろうか。
そんな生き方に憧れている。

脱線したので本題へ戻ろう。

どうやら旧街道の端っこまで来たようだ。今立ってるすぐ後ろが国道166号線。
ここから約2kmで竹内峠へ至る。

 

というわけで戻ろう。

街道を歩くのが好きな方、我こそはと体力や脚力に自信のある方は、是非堺から26kmを歩き倒してみてはいかがだろうか。

『街道をゆく』で「古代のシルク・ロードともいうべき道」と形容された我が国最古の官道、竹内街道。

1400年という時を超えて、悠久の歴史を今に伝える歴史街道がそこにはある。

[訪問日:2020年9月27日]


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