世界が認める秘境です。日本の宝、白川郷合掌造り集落

旅行好きなら行ったことない人などいないのではないかと思われるほど超有名な岐阜県の『白川郷』。

山深い秘境に突如姿を見せる、合掌造りの家屋が立ち並ぶ集落。ユネスコの世界文化遺産にも登録された、まさに世界に誇る日本の文化的景観である。

城山(天守閣)展望台から集落を一望

過去に二度、いずれも雪の時期に来たことがあったものの、じっくりと写真撮りながら歩いたことがなかったので、言ってしまえばこのブログのために久しぶりに訪れた。

城山展望台に登ると、目の前に広がっていたのは稲刈り前の僅かな時期にしか顔を見せないゴールデン白川郷

いやーこれは圧巻だ。いい時期に来たもんだ。

一応観光でも来たことがあったので、この日の、と言うかこの旅の最大の目的が白川郷(合掌造り)に泊まることだった。

3連休の初日だったけど、比較的早めに電話したことが奏功して無事第一希望ですんなり取れた。

集落内は、9時~16時はマイカーでの進入はできず、川向こうの国道沿いにある駐車場を利用する。
宿泊客の特権で、堂々と宿の前まで車でアクセスできたのにはちょっとした優越感を感じた。(あふれ出る小物感)

無事チェックインを果たした後、とりあえずカメラ片手に集落内をぶらぶらと歩くことにした。

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荻町合掌造り集落

このブログ用に写真撮るときは、普段はAPS-Cのミラーレスにズームの広角レンズを持ち歩く。比較的やる気のない装備である。

この日は気分的なものもあって一眼レフに50mm1本で歩いたので、いつもと写真のテイストが違うのはまぁそういう理由である。

重文にもなっている「和田家住宅」。

一般公開されているので、合掌造り家屋を見学したければまずここに行こう。(昔入ったのでパスした)

『白川郷』と言うのは昔ながらの呼び名で、ここの正式名称は「荻町(おぎまち)合掌造り集落」。

住所が岐阜県大野郡白川村荻町なのでこういうことになっている。

田んぼに白鳥がいた

で、白川郷・五箇山の合掌造り集落として1995年に世界遺産になったと言うのは五箇山のところでも書いた通りである。

 

前回の記事で白川郷について触れたときに…思い出した。 あぁ、そう言えば以前五箇山に行ったっけ。 そんなわけで、ちょっと古いけど昔...
昨秋、岐阜方面に2泊3日の小旅行に出かけた。メインは久しぶりの飛騨高山&白川郷と、さらに久しぶりの下呂温泉。 岐阜県を縦断しなければならな...

 

国の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)になっていることも同じだが、五箇山と違うのはその早さ。

白川郷は1976(昭和51)年、妻籠宿や京都の祇園とともに選定第一号の肩書きを持っているのだ。

つまり、裏を返せば国内でもいち早くその価値が認められ、保存の対象になったということである。

では、そんな白川郷はこれまでどんな歴史を歩んで来たのか。

白川郷の歴史

合掌造りが建てられるようになったのは江戸時代のことで、その頃になると養蚕や塩硝づくりが主な産業となっていたので、大家族が住める職住一体の家が必要だった。

かつ、国内でも屈指の豪雪地帯にあたる厳しい気候。屋根に雪が積もりにくい、鋭角の屋根を持つ合掌造りはこうした背景を元に生まれた。

ちなみに茅葺屋根には寿命があり、おおむね30~40年ごとに葺き替えが行われるそうだ。

時代は下り、戦後になると高度経済成長による産業構造の変化や都市部への人の移動により空き家が増えて行き、極めつけになったのが1961(昭和36)年に完成した御母衣ダムの建設によって多くの合掌造りが集落ごとダム湖に沈んだことである。

これを受けて地元でも保全への機運が急速に高まり、昭和46年には「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を掲げ、保存活動に取り組んだことがのちの重伝建、世界遺産へと繋がっていった。

そんな荻町には、江戸末期から明治末期頃に建てられた合掌造りが現在59戸残っている。
ちなみに菅沼が9戸、相倉が約20戸なので荻町がいかに数多く残っているかがよくわかると思う。

明善寺の庫裏。一応合掌造りなのでこれも含めると60になる。

荻町の合掌造りは基本的に妻(屋根を正面から見て窓がついているほう)が南北を向くように建てられている。

これは、養蚕を行う屋根裏の通気をよくすることや、風が南北から吹くことで風を受ける面積を少なくすることなどが理由だそうだ。

つくづく、合掌造りとは人類の叡智の結晶であると思わずにはいられない。

(2ページ目へ続く)