花街から始まり、戦後の赤線を経て現在は歓楽街となっている茨城県は土浦市桜町。
かつての色街の“跡”を探してしばしぶらぶら歩いてみた。
今でも屈指の盛り場として
とは言え、右も左もその手のお店ばかり。。
早起きしてはるばる茨城まで来て何でこんなところを歩いてるんだろう、とこの辺で少し冷静さを取り戻すw
店の看板をキョロキョロ眺めながら歩くと、とにかく名前にインパクトがありまくり。
というか、冗談としか思えないふざけた名前を大まじめに掲げて営業してる店のなんと多いことか。
これは・・地域性なのか?それとも県民性なのか??
よかった。ようやく赤線時代の遺構と思われる建物が出てきた。
ドアの部分に注目してみましょう。
向かい合うように二ヶ所。
さらに、左側にも同様に二ヶ所ある。「入口と出口がそれぞれ二つずつあった」と考えるのが自然であろう。
どうにもパンチが足りないけど、このムダに目を引く意匠も赤線時代の産物とみていいような気がする。
と言っても、とにかくこんな微妙な遺構ばかりで、今のところ「ただ現役の盛り場を歩いてきました」的な成果だけ。いや違う、それは成果とは言えない。
またしてもネジが3本くらい飛んでったようなお花畑な名前が出てきましたよ。
2秒考えてわかった。スリーポイントかw
いやはや、これはすごいわ。あきらめの悪い男、三井寿もビックリするレベル。
たまたま午前中の早い時間に歩いたから・・ではなく、よくよく見ると廃業した店も結構多かった。
近年、この業界は斜陽産業と言われて久しい。特に地方都市ほどその傾向が顕著だと言うが、桜町を歩いてみてそれがよくわかった。
ある程度付近をくまなく歩いてみたが、潰れたものも含めてその手のお店ばかりで、裏通りなどにはわずかに古民家が残されていたものの写真に収めるほどのものではなかった。
もういいや、駅に戻ろう。
なんだかんだ書いてしまったけど、ただの現役歓楽街のレポみたくなってしまった感が否めない。
サイトの趣旨から逸れた成果に終わったことにちょっとガッカリしつつも、常磐線に乗り込みこの後さらに北を目指した。
[訪問日:2014年8月17日]
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