通称「石の島」。笠岡諸島最大の島『北木島』へ行ってきた

岡山県
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コロナの蔓延で近場や日帰り旅への制限を余儀なくされた2020年。
GOTOトラベルが始まり、ようやく遠出が許される雰囲気が浸透してきた頃、筆者は瀬戸内の離島へと渡るべく満を持して西へクルマを走らせた。

このときは計4つの島を巡った。手始めに向かったのが岡山の笠岡沖に浮かぶ、笠岡諸島最大の島「北木島(きたぎしま)」である。

“晴れの国おかやま”の辞書には晴天以外の概念はないのだろう。
これまで瀬戸内側に来て、雨はおろか曇天だったことも記憶の限りではない気がする。

この日もご覧の通り雲ひとつない秋晴れだった。

笠岡の伏越港から50分の船旅を満喫し、北木島へと接岸した。
船着き場がいくつか存在するが、島の北側にある金風呂港で下船した。

この島は一体どんな景色を訪れ人に見せてくれるのか。
冒険の始まりである。

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北木島とは

北木島は笠岡諸島最大の有人離島。人口は約800人。周囲およそ20kmと中途半端なでかさはさしづめサイクリング向きと言えるだろう。
そんな北木島を筆者は何も考えずに歩いて回るつもりだった。

どう見てもアホである。
無計画万歳。

ストアーつるた

ぶらぶらと集落を歩いていくと一軒のスーパーを発見した。
いや、離島ではスーパーではなく「よろずや」と言うべきだろう。

基本的に何でも扱う島民の生命線とも言える存在だ。

アーケードに引き寄せられるようにおもむろに角を曲がったところで・・ん?何か気配が・・

いた。

ちゅ~るでも常備していればまた違った展開になっていたかもしれない。

コイツらの表情はどう見ても餌をねだる猫のそれではなかった。
明らかに目の光が戦闘色を帯びている。

 

(やれやれ。どうやらすべて倒さなければいけないようだな・・)

 

2分後。

 

「よ~しよし。カワイイなぁお前ら。お腹すいてないか?」

うっかり懐柔に成功してしまい、全力で戯れるヤツがいた。
基本人懐っこいところが離島のいいところである。
だが、、ここで油を売るわけにもいかないので、断腸の思いで先へ進むことにした。

 

後ろ髪を引かれる思いで歩き出すと、元映画館の「光劇場」の建物が立っていた。

でも、まったく映画館に見えない…。

昭和40年頃まで、島には実に3つも映画館があったそうだ。
映画が大衆娯楽だった時代、今では考えられないぐらいあちこちにあったのである。

この光劇場は、今では「島カフェ」として第二の人生を送っているので興味のある方は足を運んでみてはいかがだろう。

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石の島

さて、北木島を語る上でこの話は抜きにはできない。
この島は、江戸時代より良質な石材の産地として全国に名を馳せてきたのである。

今なお切り出される「北木石」。採石場に展望台が整備されていると言うので見学に行ってきた。

と、その前にもうひとつ。
北木島はお笑いコンビ「千鳥」大悟の出身地で、この腕を組んでる石切り職人然としたおじさんが実は父上というオチ。

ファンを島内観光に連れて行ったりすごく気さくなお父さんだそうで。

北木石の歴史は古く、江戸時代から現在に至るまで輝かしい功績を残している。

北木石が使われている建築物を以下にざっと挙げてみよう。

石切りの渓谷

  • 大阪城の石垣(江戸時代)
  • 日本銀行本店(明治時代)
  • 伊勢神宮の石灯籠(明治時代)
  • 三越本店(大正時代)
  • 明治神宮神宮橋(大正時代)
  • 靖国神社大鳥居(昭和時代)
  • 五条大橋(昭和時代)
  • 薬師寺西塔(昭和時代)

一例ではあるが、これだけある。
何という豪華キャスト・・。

実はすごい島だったのだ。

今でも切り出しが続く採石場は深い谷が形成されている。
「石切りの渓谷」と言うのも言い得て妙だな、と感心した。

戦後の最盛期には島内に127箇所もの丁場(採石場)があったが、このあたりは木材と同じで安価な輸入モノに押され、その数は激減してしまったと言う。

(2ページ目へ続く)

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