秋田県横手市と言えば「かまくら」が有名な、我が国屈指の豪雪地帯である。
この横手市の増田(旧増田町)というところに、この地ならではの個性的な町並みがある。
About 増田町
増田は横手の中心部から南へ10km以上離れており、お隣湯沢のほうが全然近いという土地柄。
現在の幹線(羽州街道)や鉄道駅からも離れており、「なぜこんなところにこんな町並みが?」と思わず言いたくなる典型的な在郷町である。
元々は増田城の城下町だったが、江戸初期には城は破却されている。
雄物川支流の成瀬川と皆瀬川の合流点に位置し、さらに手倉街道と小安街道が交わる交通の要衝であったことで江戸時代から物資の集散地として賑わった。
さらに、寛永20(1643)年には現在も続く「朝市」が始まり、流通のみならず交易の拠点としても機能し、増田は徐々に商人の町として発展していくことになった。
今に残る町並みはこの頃形成されたと言われている。
明治以降、先述のとおり幹線や鉄道駅から外れるものの、すでに豪商を多数生んでいた増田の勢いは衰えず、銀行や水力電気会社が設立されるなど変わらずこの地の経済の中心であり続けた。
現在、その繁栄の名残は旧小安街道(県道108号線)沿いの「中町」「七日町」に見られ、切妻造妻入りを主とした伝統的な商家建築が約400mの範囲に立ち並んでいる。
すなわち、2013年に種別「在郷町」で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)になった町並みがそれである。
通りは「蔵のある町 くらしっくロード」という愛称で親しまれている。
が、通りから見えるのはいわゆる主屋でどこを見渡しても土蔵なんてない。
これについては後ほど説明しよう。
400年続く増田の朝市は、毎月2、5、9の付く日に開催される。
つまり、2、5、9、12、15、19、22、25、29と月に9度開かれる。
7時頃から、だいたいお昼頃までやっているそうだ。
増田の商家の特徴は、屋根の下にある。
まず、梁が格子状になっている「梁組」。
うち、3本手前に飛び出しているのがおわかりだろうか。(先端の部分を「梁首」と呼ぶらしい)
さらに下屋に庇を備えるのが一般的なスタイルだそうだ。
(こういうの見るとついつい縦構図で切り取りたくなるんだよな…)
地割の特徴としては、間口が5間~7間という長さに対し、奥行きが50間~100間と極端に長いいわゆる「短冊形」をしていることである。
京町家で言う「うなぎの寝床」と同義であるが、増田の場合はこれは雪対策ではないかと筆者は考えている。(平入りだと除雪の範囲がおのずと増える)
増田には計19棟の公開家屋があり、うち9棟が国登録有形文化財。1棟が重要文化財。そして5棟が市指定文化財となっている。
料金別で見ると、有料施設が12、無料施設が7という内訳である。(一部事前予約あり)
公開されている建物はほぼすべてが今も店舗や住居として使われており、特に後者は住人の好意で成り立っているそうだ。
感謝の気持ちを持って見学させて頂こう。
現代風に改装された商店。
他にはない「吹寄せ格子」を設えた商家も。
全国でも屈指の酒処である秋田。
明治以降、増田は酒造業も盛んだったが、現在残るのはこちらの「日の丸醸造」さんのみ。
ここで蔵元限定酒を1本をお買い上げ(´∀`*)
向かいには倉庫がある。
この「ほたる」という名前にも実はちゃんと意味がある。(これは後ほど!)
町並み案内所には蔵が併設されていて、内部を見学できる。
ちょっと時間が押してたのでチラ見だけw
厳密には重伝建の範囲外になる谷藤家。
国道を挟んだ南側にある。
増田では珍しい純和風建築。
南端まで来たので戻ろう。
エリア的にはかなりコンパクトなので歩きやすかった。
これがメインストリート。
そんなに交通量も多くないので比較的散策もしやすいと思う。
みやげ屋になっていたこちらの建物は明治後期~大正期。
梁首の下に“持ち送りっぽい意匠の何か”がくっついていた。
モルタルの鏝絵が特徴的な旧勇駒酒造。
主屋の前に店舗が別棟でくっついたような、通りでは珍しい形態をしていた。
後半では通りの名前にもなってる「蔵」の話をしようと思う。
(2ページ目へ続く)
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